伝統や道徳は壊すためにある…新しいものを生み出すのは「破壊する力」だ
仲間内でよく「指揮者がいないね」という話になる。外国の音楽ファンにも知られるような日本人指揮者が見当たらないのだ。真に世界に知られる日本人演奏家は、指揮者の小澤征爾さんとピアニストの内田光子さんぐらいだ。
小澤さんがデビューされた1950年代後半から60年代は日本が高度経済成長に向かうさなか。世界を目指してイケイケドンドンの時代で、日本の財界にも「世界に通用する音楽家を売り出そう」という機運が高まっていた。
小澤さんはとても運がよかった。彼の奥さまだったピアニストの江戸京子さんは三井不動産社長の江戸英雄さんのご令嬢。江戸さんは財界の実力者(桐朋学園の創設者のひとり)だった。それもあり「小澤を日本の音楽界の顔にしよう」と経済人たちがこぞって応援したのだ。小澤さんにはもちろん才能があったが、同じレベルの指揮者は他にもいただろう。財界の後ろ盾があったからこそ、世界のオケにも受け入れられたのだ。
一方で内田光子さんは幼い頃から外国で暮らし、日本の文化や風土の影響を受けずに才能を純粋培養できた。初めからコスモポリタンだったのだ。