“推し”は最初から決まっていた…元芸能人が明かす「オーディション番組」の過酷な裏側と選ばれる子の共通点
厳正な審査のはずが
世間を揺るがす芸能界のさまざまな噂。ニュースとして報じられ、真実が明らかになることも増えました。現在は清浄化が行われている芸能界ですが、昔はグレーなこともたくさんあったのだとか。かつて芸能業界に近しい場所で働いていた女性が見た光景とは?
「オーディションは公正に行われています」——事務所の公式サイトや募集要項にはそう書かれている。私も業界に身を置いていた時期があり、書類審査から面接までを何度か見た。
だがそこで感じたのは、外から思うような“実力主義”ではなかった。むしろ「すでに選ばれる子は決まっているのでは?」と疑いたくなるような出来レースの空気だった。
大手事務所の新人オーディション。数百人が集まり、一次審査から順にふるい落とされる。審査員席にはマネージャーや現役タレントが並ぶ。表向きは厳正な審査に見えるが、実際には一次審査前から“推し”の名前が共有されていることが多い。
スポンサーやテレビ局から「この子を見てほしい」と事前にリストアップされるケースもあった。全員ではないが、明らかに“最初から光を当てる前提”の子はいる。
自己紹介の順番はランダムのはずなのに、特定の候補者が審査員の目に留まりやすい位置に置かれる。舞台に上がるときも照明がひときわ明るく当てられ、会場全体が無意識に「この子を推す」流れを作り出していた。
印象に残っているのは、最終選考の二人。片方は歌も演技も抜群で「実力ならこの子」だったが、合格したのは平凡なパフォーマンスの子。
後に聞いたのは「既にドラマ主演候補で名前が挙がっていた」という裏話。つまりオーディションは“選ぶための舞台”に過ぎなかったのだ。
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オーディションは「演出の場」
ある先輩マネージャーは言った。
「オーディションは候補を選ぶ場というより、事務所やスポンサーに“こんなに人気があります”と見せるショーケースなんだ」。
つまり候補者を見極めるより、既に決まっている子を“正当に選ばれたように演出する”場だった。
選ばれる子の共通点も見えてきた。
第一に「顔立ちの華やかさ」。演技力より先に画面映えで振り分けられる。第二に「扱いやすさ」。指示に従順で現場でトラブルを起こさない。第三に「背景の強さ」。経済力やコネがあれば事務所も安心して推せる。こうした要素は候補者本人の努力ではどうにもならない部分であり、だからこそ現場に立ち会うとやるせなさが募った。
実際、親の職業や家族の交友関係が決め手になった例を耳にすることも珍しくなかった。
「公平さより事情」が優先
もちろん純粋に実力で選ばれる子もいる。ただその割合は決して多くない。
大型オーディションほど事務所や局の事情が絡み、小規模な舞台やインディーズでは才能一本でチャンスを掴むケースがある。だから「出来レース=全部嘘」とも言い切れない。だが、経験者の目からすると「公平さより事情」が前に立つのは否めない現実だ。
私自身、現場で何度も見て「夢を追う子たちにとって残酷だな」と感じた。
応募者は皆「実力で挑戦している」と信じているのに、裏では結果が半ば決まっている。努力が無駄ではないが、それ以上に“見えない力”が働く現実は確かにある。
落選後に涙する候補者や、励ます家族の姿を目にするたび、胸が痛んだのを覚えている。
芸能界は「誰に選ばれるか」がすべて
芸能界は「夢を売る場所」と言われる。だが夢をつかむ過程は必ずしも公平ではない。むしろ「誰に選ばれるか」がすべてで、その土俵に乗れなければスタートラインにすら立てない。
だからこそ、落ちた子が才能を否定されたわけではない。彼らが敗れたのは、実力不足ではなく業界の事情に合わなかっただけかもしれないのだ。
オーディション会場の熱気、候補者の真剣な眼差し、家族の期待。その光景の裏には、事務所の思惑やスポンサーの意向が複雑に絡んでいる。
華やかな夢の舞台が、時に出来レースのショーに過ぎないことを、現場を知る人間ほど痛感している。
だから私は「努力すれば必ず報われる」とは、軽々しく言えないのだ。
(おがわん/ライター)