世界初の投稿型図鑑「WEB魚図鑑」を開発した山出氏「釣りは生活の一部でした」
新種の発見もあれば、そうではなかった笑い話も
──新種などが発見されることもありそうですね。
「実際、新種もあります。僕が釣ったサクヤヒメジがまさにそれ(同②)。釣り仲間とのオフ会の時に見せたら、研究者たちが『お、きましたね!』と盛り上がった。この写真だと見えにくいのですが、それまでヒゲが白いヒメジは発見されていなかった。その2年後、新種と認定されました。それとは逆に、研究者が『新種か!』と色めきたちながら、そうではなかった笑い話もある。それがネズミゴチ(同③)。背びれにブルーメタリックの箇所がありますよね? 研究者たちは『こんなのは見たことがない!』と調べていましたが、何てことはない。青い部分は繁殖期のオスのみに現れる婚姻色で、死ぬと黒くなる。研究者は死んだ魚をメインに研究していたから……というわけです」
──釣りを始めたのは何がきっかけだったのですか?
「僕は宮崎県小林市出身ですが、5歳の時に鹿児島市に移住。埋め立てられる前の鹿児島湾が家の目の前にあり、父が釣り好き。物心ついた時から、釣りは生活の一部でした。だから、釣りに熱中したことがほとんどない。社会人になってから釣りを始めた人は、最初の5年間は楽しい。でも、道具は良いものを揃えて、釣りに出たからには釣果は……と損得勘定が頭をもたげると、徐々に熱が冷めてしまうケースが少なくない。いわゆる『大人の趣味』にありがちで、そんな釣り人を何人も見てきました。でも、僕にとって釣りは生活の一部。道具や釣果にはほとんどこだわらない。季節季節で行きたい釣り場があり、好きな魚が釣れたらそれで満足。ただ、鮎釣りだけは例外でした」
──ハマったのですか?
「ハマりました。鮎釣りを始めて5年くらいは、鮎のシーズン中の夏場は仕事をしなかった(笑)。自分でも当時は頭が狂っていたと思います(笑)」
──どれぐらい熱中したのですか?
「当時は宮崎県の綾町で鮎釣りをしていたのですが、ある日、釣りとは関係ない仕事の打ち合わせに綾町の漁業組合の腕章を巻いて行ってしまった(笑)。完全に無意識です。当然、先方には『うーん?』と怪訝な顔をされました」
──印象に残った釣り、思い出深い釣果などはありますか?
「僕は大きい魚を釣ろうとか、たくさん釣ろうということに興味がないんですよ。釣りは餌や道具を魚に合わせた方が釣れますが、僕はその逆。例えばヘラブナ釣りみたいに、『延べ竿にダンゴ餌をつけて何か釣れないかな』なんてことを港でもやっちゃう。だから、他の人より釣れません(笑)。ひねくれとかあまのじゃくではなく、純粋にそれが楽しい。ただ、衝撃を受けた釣りはあります」
──どんな釣りですか?
「宮崎県の青島漁港で、知らないおじさんの釣りを見ていたのですが、大物がかかったのか、リールが1回転するごとに『キュキュキュ!』と凄い音を立てていた。釣り上げると、見事なボラ。おじさんはその場でボラの首をボキッと折って血抜きをし、それを自転車に載せて何事もなかったかのように帰っていった。それを見た時、これだ! と思いました」
──どういうことですか?
「例えば都会に住んでいて、遠いところまで釣りに出かけた場合、1匹釣って帰るなんてもったいなくてできない。でも、あのおじさんは晩酌のアテに1匹欲しかっただけで、チヌでもメジナでも何でもよかったのでしょう。彼は釣りに熱中するのではなく、ただ日常の中で当たり前に大物を釣って、1匹で満足して家に帰った。なんて豊かな釣りなんだ……と、僕の中の釣り観を変えた一場面でした」 (聞き手=阿川大)