「僕はこういう女性を待っていた」思想史家の大家・子安宣邦氏が88歳で新たな恋に落ち、89歳で再婚した理由
彼女と会わなければ学者のまま死んでいた
その直後に「生き直し」を象徴する出来事が起こる。子安さんは松井さんと暮らすために、身を切る思いで、万を超える蔵書を処分したのだ。
著書の中では「あなた(松井さん)でなければ、捨てられなかった」と子安さんは語っているが、子安さんにとって蔵書はまさに生涯をかけて築いてきたアイデンティティーそのものだ。
松井さんは「あの言葉がうれしかったのよ」と返したという。子安さんは卒寿を目前に、松井さんは喜寿を控えて、一生の恋を手に入れたのだ。
24年の暮れに川崎の一軒家から、鎌倉のマンションに引っ越した。
「朝5時には起きて、クリーニングしたてのワイシャツにピシッと着替え、プレスのきいたズボンをはく。朝食をとった後は、散歩に出ることを心がけています。外見から中身まで、みじめな老人には絶対になりたくない。一昨年の秋に転んでからは、週に1度、パーソナルトレーナーに来てもらって歩き方の基本の指導を受けています」
来客の予定がないからと、一日中、スエットで過ごす人は多いのではないか。高齢だからと散歩にすら出かけず、一日中、テレビの前で過ごす人も多いのではないか。それでは本当に老人になってしまう。
一方で、松井さんと付き合うようになってから、亡き前妻を思い出すことが増えたという。その心情はどのようなものか。
「美知子がシュタイナー教育の第一人者になったのは、私が家事と育児を一手に引き受けたことが大きかったと思う。自律に向け人間形成していく過程で結婚し、互いに理解が足りていなかったかもしれない。夫婦として成熟する可能性はあったかもしれないが、実現できませんでした」
前妻の美知子さんはNPO法人「あしたの国まちづくりの会」理事に就任。最後まで学者としての信念を貫いた。前妻との結婚を振り返りながら、「今は自律し、成熟した者同士の結婚だから、それぞれが自由と責任を全うしながら互いのことも思いやり、尊重できるのです」と言う。
再婚していちばんよかったのは、安心感を得たこと。個人的にも社会的にも、孤立という恐れから解き放たれた。
「人はいくつからでも変われる、その自分の可能性を信じること。自律した存在であり続けること。人とつながる場を大切にすることです」
恐るべし92歳。今でも静かなエネルギーがみなぎっている。
▽子安宣邦(こやす・のぶくに) 1933年、神奈川県生まれ。日本思想史家。大阪大学名誉教授。日本思想史学会元会長。著書は「日本近代思想批判」「本居宣長」「昭和とは何であったか」など多数。2022年、松井久子氏と再婚。



















