埼玉のごく普通の若者がキャバクラ経営で大成功するまで
株式会社「日本野菜」高橋栄治社長(前編)
20代でキャバクラ店を大成功させ、30代後半で一転、農作物通販サイト“タダヤサイ”を始めた高橋栄治さん。現在は自ら農業を手がけ、畑を耕してもいる。ごく普通の若者はどうやって次々とビジネスをモノにしてきたのか。「人より先に始めることがビジネス成功の鉄則」と力説する。
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高橋さんが生まれ育ったのは埼玉県本庄市。利根川を隔てて群馬県と接する県境の町で、市の北側はキュウリやネギの畑が広がる。高橋さんの父親はJR東日本に勤める堅実なサラリーマンだったが、1反(300坪)の畑で農作物を作ってもいた。
「家族で消費する程度です。ただ私は手伝ったりしませんでした。中学で体操部、高校ではハンドボール部で、学校以外で空手もかじっていたので」
学生時代はまだ将来について深く考えておらず、県立本庄高校卒業後、「面白そうだから」という軽い気持ちで当時、東京・上野にあった東京科学電子工業専門学校に進んだ。そこでバイオテクノロジーを学び、1993年、大手食品会社に就職。ここまではごく普通、波瀾万丈のカケラもない人生だったが……。
「結局、2、3年で辞めてしまいました。埼玉の熊谷勤務で、自宅から通っていたのですが、職場の先輩と飲みに行って給料などの話をするうち、何年後には自分もこうなるんだなと先が見えてしまった。それじゃつまらない、東京へ出て行こうと思ったんです」
求人情報誌「フロムエー」で見つけた“飲食店の企画・営業、月給40万円”の広告に引かれ面接へ。ところが、行ってみると新宿・歌舞伎町の老舗キャバクラ店のボーイの職だった。
「キャバクラという業態が話題になって、すごく賑わっていた頃です。まあ、社会勉強になるからいいかと始めてみたものの、歌舞伎町の従業員寮に寝泊まりし、午後1時から翌朝5時まで勤務なので、自分の時間はほぼなく、歌舞伎町に缶詰め状態でしたね」