大阪糖菓 野村しおり社長<3>金平糖は1日1ミリ、2週間かけて完成させます
自らを「フロイスしおり」と名乗り、金平糖の普及活動に南蛮人のコスプレをして臨む野村社長。このコスプレ商法とも言われる伝統芸(?)は父親で先代社長の野村卓会長から受け継いだもの。
卓会長も「フロイス」を名乗っていたが、次期社長であるしおりさんにその名を託し、自らは「フラット野村」に改称した。ちなみに、「フロイス」は安土桃山時代に実在したポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの名に由来。1569年、織田信長に南蛮菓子の「コンフェイト」(砂糖菓子)を献上したことから「金平糖の祖」といわれている人物だ。
実は筆者は、10年前にも社長時代のフラット野村こと卓会長を取材しており、その時も南蛮人のコスプレで歓迎してもらった。
「コンペイトウミュージアムの来館は子供さんが多いのですが、背広にネクタイ姿だと何か距離感がありまして。そこで南蛮服への変装をはじめたところ、評判が良くすっかり正装になりました。以来、毎日のように南蛮衣装を身につけ、お客さまの前で歴史紙芝居をやっています」とは当時の卓会長の弁だ。
卓会長がここまで金平糖にこだわるのは、伝統の菓子を守りたいという熱意からだ。
「伝来から450年以上の歴史を持つ金平糖は皇室の引き出物やひなまつりの菓子、非常用の乾パンに同梱されるなど、日本の生活文化に深く浸透してきました。回転釜の中で1日に1ミリずつ成長させ、2週間かけて完成させる製法は明治から大きくは変わっていません。夏場の工場は50度にもなりますが、丁寧に蜜をかけないとあの形にはならない。ですが、昨今の砂糖離れやダイエット志向が逆風となり、国内メーカーは減り続けている。このままでは伝統の味や技術が途絶えてしまいます」(卓会長)
その熱意は、新商品開発にも及ぶ。誰もが一度は目にしたことのある「あじさいの栞」がその代表作。これは色とりどりの金平糖をあじさいに見立て、透明のフィルムに丸くラッピングして葉っぱを取り付けたもの。全国のあじさい園など観光地で人気になっている。そんな卓会長の行動の原動力は大阪人らしく、「1回でも笑ってもらえたら存在価値がある」。
直径1ミリの「世界一小さな金平糖」「60分キャンディー」など、ユニークな商品はこの精神から生まれた。最近まで本社のある八尾工場に併設されたミュージアムで「国王」として来訪者を出迎えていたが、その精神は娘で現社長のフロイスしおりこと、野村しおり社長に引き継がれている。=つづく
(取材・文=中森勇人)