“島流し”されたドミニカで苦労した言葉と食事…寮はジャングルの中にポツンとあった
プロ1年目の1987年、野球留学先のドジャース傘下のルーキーリーグで不甲斐ない成績に終わり、ドミニカ共和国へ“島流し”されることになった。日本に帰国することなく、直接、中南米の国へと渡った。
ドミニカはコテージ住まいだった米国とは違い、アカデミーが持つ寮での生活だった。もう40年近くも前のことだからよく覚えていないが、一緒に留学していた同期の荒川哲男(ドラフト4位)を含め、選手たち数人と相部屋だったと思う。
アカデミーということもあり、練習が終わると毎日、英語の授業があった。ドミニカの選手の母国語はスペイン語。メジャーリーグを目指すにあたって、必要不可欠な英語を学ぶため、練習後に1時間ほどの英会話教室が開かれていた。
ただ、教えてもらうときに先生が話しているのはスペイン語。「ブエノスディアスはグッドモーニングと言います」とスペイン語で説明されても、英語もスペイン語も分からない俺としてはチンプンカンプン。「こんな勉強会、行っても意味ないだろ……」と思いながらも、授業は毎日受けていた。