編み物作家「このままでは餓死…」からの一発逆転劇! 直木賞作家が救いの手を
編み物作家 編み物☆堀ノ内さん
なんとも珍しい。セーターなどのニットをキャンパスにアート作品を描く、いや編み込む「編み物作家」。モチーフはデビッド・ボウイ、マイケル・ジャクソン、沢田研二、ショーケン、松田聖子など古今東西のスターから、3億円事件の犯人のモンタージュ写真や霜降り牛肉など多種多様。オーダーメードでは発注者の飼い犬や飼い猫を編むこともあるとか。誕生日など特別な記念に注文する人が多く、値段はブランドもののスーツ1着分以上するのだが、人気につき半年待ちの状態だ。
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「家庭用の編み機を使っていますが、実質的には手作業。ほとんど自分ひとりでやっているので、時間がかかるんです。1着あたり最低でも1週間はかかりますね」
まさにオンリーワンの表現手法。ニットで絵を描くという発想はどこからきたのか?実はやむにやまれぬ事情からだった。本職はグラフィックデザイナー。主に雑誌のデザインや教科書などの装丁を手掛けてきた。しかし、年齢やリーマン・ショックなどで仕事がどんどん減っていった。
「いよいよヒマになったぞと思ったのが7~8年前。これは何か他の飯のタネを見つけないと餓死しちゃうと思いました。それで始めたのが編み物だったのです」
そもそもグラフィックの仕事は、好きではあったが得意ではなかった。早くから自分の力量を見極めていたのである。
だから20代の頃から「もうひとつ肩書を見つけなければ」と、いろいろなことに挑戦してきた。
「例えば漫画ですね。同じように机上でできるからという安易な理由でしたが、いざやってみると難しい。売れるためには特別な才能が必要なんです。とても仕事にできないと、早々に諦めました」
Tシャツなどのデザインはそれまでにもやっていたが、別に珍しくもない。しかし「編み物はだれもやってないぞ」と思いついたのがターニングポイント。
だれもやっていないことに目をつける大切さ
その時、脳裏に浮かんだのが故・橋本治氏。評論家、随筆家として活躍する一方、編み物作家としても有名であった。
そんな橋本治の作品を、実は中学生の頃に見て覚えていた。早速、古本屋で作品集を買い求め、ページをめくってみると──。
「その精巧さに驚きました。と同時に、これは面白いぞと。もちろん簡単にできるとは思いませんでしたが、仕事にするなら、こんなふうに人から驚かれるぐらいのレベルじゃないとダメ。とにかくやってみようと覚悟を決めました」
編み物経験はゼロ。裁縫すらロクにできなかったが、千葉に家庭用手編み機を教えてくれる教室を見つけ、門を叩いた。今は編み物を趣味にする「編み物男子」は珍しくないが、当時は編み物をする男性はまれ。その教室は40年の歴史があったが、「男性はアナタが初めて」と言われたそうだ。
最初に編んだ図柄はブルース・リー
まずは無地のセーターを作れるようにならなくては話にならない。コツコツ学び、ようやく2着作り上げたのは、教室に通い始めてから半年後のことだった。そして中古の編み機を購入し、仲間のデザイナーと借りていた作業場に持ち込んだ。
「ヒマを見つけては……というかほとんどヒマだったんですけど(笑い)、デザインもせずに編み物ばかりしている僕を、周りのデザイナー仲間は奇異の目で見ていましたね。妻も『仕事がヒマだから編み物ってどういうこと?』と半ば呆れていました」
最初に編んだ図柄はブルース・リー。今の堀ノ内さんが見たら「50点」という出来だったが、「ほっこりとしたニットに、精悍なブルース・リーの顔は、意外性があって面白いと思いました」。奥さんも一目見て「おっ」と声を上げたという。そこに手応えとかすかな望みの綱を掴んだという。しかし、ビジネスとしてモノになるのはまだまだ先の話である。
成功の秘訣は「おおっ、すごい!」と言わせること
「図柄の設計はコンピューター上でやるので、グラフィックデザインと共通項があるんですよ。といっても、自動で出来上がるのではなく、写真を見本に1マスずつ色を塗りつぶしていく地道な作業。製図だけで2日以上かかります」
しかしそこで手を抜くと、編む時につじつまが合わなくなり、余計に時間がかかるのだという。編み物だから、途中で間違いに気づいても、簡単には直せないだろう。使用する家庭用の織り機は、1段ずつ編んでいくので、ほとんど手作業と変わりない。
いざ編み物を始めようと、千葉の編み物教室に半年通い、なんとか無地のセーターを編めるようになってから、初めて編み込んだ図柄はブルース・リーだった。今の堀ノ内さんから見れば50点の出来だが、作品としての面白さに手応えを感じた。
しかしいきなり仕事になるほど甘いものではない。編み物作家の看板を掲げたが注文はゼロ。セーター1着とはいえ、オール手編みの一点物。時間がかかる分、値段も張る。ノリで買うような代物ではない。
そんなピンチに救いの手を差し伸べたのが、直木賞作家の山本一力氏だった。実は、妻の父親の知り合いで、山本氏が作家としてデビューする前から付き合いがあった。ある日、近所のよしみで遊びに来た山本さんは、そのセーターを見て、「おおっ!」と声をあげた。
ミュージシャン岡村靖幸の関係者から100枚注文が!
「その時見せたのが、王貞治さんの顔をモチーフにした作品。山本さんは根っからの巨人ファンなんです。見るなり『いいね! 俺にも作ってよ』と、その場でお客さま第1号になってくれました。ご本人は『俺が気に入ったから注文しただけ』と言っていましたが、苦労している私を見かねてのことだったと思います」
この出来事をきっかけに、追い風が吹き始める。しばらくすると、ミュージシャンの岡村靖幸氏の関係者から、「コンサートのグッズ用に顔入りのセーターを作って欲しい」との注文が来た。その数、なんと100枚! さすがに手織りでは無理なので、製図を専門業者に渡して量産してもらった。
「岡村さんのファンには有名人も多いので、その人たちが僕の作ったセーターを着てSNSで拡散してくれたのが、いい宣伝になりました」
それから次第に注文が入ってくるようになり、ギャラリーや百貨店からも声がかかるように。今や展覧会や受注会を開けば、大勢のファンが集まる人気作家だ。
「グラフィックデザイナーは廃業したわけじゃないのですが、昨年確定申告したらデザイナーの仕事は1割程度。もし編み物を始めてなかったらと思うと、ゾッとしますね」
大量消費時代にあえて手作りの一点物
堀ノ内さんの勝機は、Tシャツではなく編み物だったこと。Tシャツに人の顔がプリントされていても全然珍しくないが、セーターに3億円事件の犯人や横山やすしの顔が描かれていたら“え、編んでるの?”と見た人は驚くだろう。意外性やインパクトはどんな商品にも必要だ。
そして一点物であること。どこでも同じ服が安く手に入るファストファッション全盛の今、手間もヒマもかかるオーダーメードセーターは、時代遅れかもしれないが、だからこそ“世界に一つだけ”の価値は一層光り輝く。
「大量消費されれば飽きられるのも早いですからね。だから、これからも手作りにこだわっていきたい。何より渡した時に“すごい!”と喜んでもらえるのが、作家冥利に尽きるんです」
(取材・文=いからしひろき/ライター)
▽編み物☆堀ノ内(あみもの・ほりのうち/本名:堀ノ内達也) 1967年、神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所を卒業後、グラフィックデザイナーの道へ。主に雑誌のデザインや書籍の装丁などを手掛ける。しかし、年齢とともに仕事が激減。新たな表現手法として編み物に目をつけ、初心者ながら手探りで技術を習得。その精密な表現と一点物という希少性が評判となり、今やSNSのフォロワー1万人、注文は半年待ちの人気作家。https://www.amimono.tokyo/