“結婚したら女性はその家に入る”みたいな考え方が気持ち悪い
明治天皇の玄孫として知られる竹田恒泰氏(日本維新の会推薦)は、漫画「サザエさん」を例にあげる。
「もし選択的夫婦別姓を導入したら、サザエさん一家はどうなるか。磯野波平、奥さんは(旧姓の)石田フネ、子どもは石田カツオ、石田ワカメ、石田サザエ、そしてフグ田マスオ、フグ田タラオとですね、表札もかけられないし、『磯野一家』ということもできない。この伝統的な家族観を守るのか守られないのか、これが問われている」って言うんだけど、この例えはどうかなあ。
表札を3つぐらいかけてる家なんかいくらでもあるし、その家庭がみんな崩壊してるわけでもない。
だいたい、フネさんは別姓を選ばず、サザエさんは別姓を選んだとしたら、家族はみんな磯野で、マスオさんだけがフグ田になる。そのほうがずっと「磯野一家」ということにならないか。この段階でこの例えは破綻しているではないか。
前述の小原氏は、家族の一体感や子どもへの影響に対する懸念について、「その家族が考えればよいことで、(別姓を)選ばない方々が選んだ方々に対してまで言う必要はないのではないか」と言ったが、まさにこれだと思う。
何よりも、結婚したら女性はその家に入る、みたいな考え方がなんか気持ち悪い。
さらに、この考え方が、旧統一教会の教えと酷似しているのもなんか嫌なんだよなあ。