7月にヤクルト監督退任を決意 大型連敗で信念を貫けず
できない理由を探すつもりはないのに、今年は嫌でもそれが目に留まってしまった。
目にするたびに、それを素直に認め、手を打たざるを得ませんでした。監督自ら「優勝は難しい」と限界をつくってしまったら、選手に「優勝を目指せ」と言うことはできないし、「自己限定をするな」という言葉に説得力もなくなります。それがユニホームを脱ぐ決意に至った何よりの理由です。
前半戦のある時期には、球団とコーチのテコ入れについて話し合いを持ちました。3年間一緒にユニホームを着たコーチたちと最後まで戦いたいと思っていましたから、「今年、成績が伴わなければ私が辞める覚悟です」と伝えました。
後半戦が始まって直後の衣笠社長とのお話の中で、私の方から「監督を辞めて、そのまま退団もさせていただきます」と伝えました。監督を辞め、球団からも身を引くことが責任の取り方だと考えたからです。衣笠社長は「監督の考えはわかった」と、もう少し様子を見るという判断をしました。
しかしチームは浮上の兆しが見えず、8月21日、広島遠征から都内に戻り、衣笠社長に再度、退任する意思を伝え、翌22日に発表しました。早い時期に退任を公にすることで、球団が来季のチーム編成を早急に進められるとも考えました。退任会見で「来年も監督を続けても、僕が勝つ自信がない」と言ったのは、私自身の力が足りないという思いからです。