著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

KINGペレ80歳の誕生日に思うこと<上>

公開日: 更新日:

 KINGと言えば、若いサッカーファンの多くはカズ=三浦知良(53)の顔を思い浮かべるだろう。

 初めてカズを「キング」と命名したのは外国人記者で1993年アメリカW杯のアジア最終予選、いわゆる<ドーハの悲劇>での北朝鮮戦だったことは、本年9月の当コラムで紹介した。

 しかし、世界的にKINGといえば「エドソン・アランテス・ド・ナシメント」=「ペレ」を指すことに異論を唱える者はいない。カズ自身も「キングと言えばペレ」と認めている。

 そのKINGペレは、15歳でプロデビューしてサントス(ブラジル)とニューヨーク・コスモス(アメリカ)で1977年に引退するまで通算1363試合に出場し、1281得点を記録した。もちろん<1000点超え>は史上初の快挙であり、後年は元ブラジル代表FWロマーリオ、アルゼンチン代表FWメッシらが、1000ゴールを達成することになる。

 W杯には17歳で1958年スウェーデン大会にデビュー。通算6ゴールを決めてブラジルの初優勝に貢献した。4年後の1962年チリ大会も連覇。1970年メキシコ大会で通算3度目の優勝を飾り、ジュール・リメ杯(当時のW杯優勝カップ)永久保持の原動力となった(3度優勝すると永久保持が規定で許された。4年後の1974年西ドイツ(当時)大会で新しいトロフィーとなり、こちらは持ち回り制となっている(現在は2代目が使用されている)。

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