著者のコラム一覧
釜本邦茂元日本サッカー協会副会長

1944年4月15日生まれ。京都市出身。早稲田大2年で日本代表入り。64年東京五輪に続いて出場した68年メキシコ五輪で得点王を獲得。銅メダル獲得の原動力となった。日本代表Aマッチ76試合75得点(B、Cマッチを含めると231試合153得点)。Jリーグ発足後はG大阪初代監督。98年に日本サッカー協会副会長。95年から参議院議員を務めた。

【サッカー】3位決定戦メキシコ戦は「メダリストになる!」という強い気持ちで

公開日: 更新日:

 今後は「頼りになる点取り屋」を発掘して育て上げることが、日本サッカーの将来に大きく関わってくるだろう。

■もう昔話をしないで済むように銅メダルを

 日本は6日午後8時キックオフの3位決定戦でメキシコと対戦する。1968年10月24日。メキシコ市郊外のアステカ・スタジアムを思い出す。22日の準決勝で優勝したハンガリーに0-5で大敗。歯が立たなかった。3位決定戦は中1日。相手はホスト国のメキシコ。スタジアムには10万人超の大観衆が詰めかけた。選手の誰もが疲労困憊。2-0で勝利したが、本当に厳しい戦いだった。

 銅メダルに首にぶら下げながら、得点王のタイトルも獲得したこともあり、点取り屋としての役目を果たせてホッとしたものだが、もうひとつ安堵したことがある。

 京都・山城高から早稲田大に進んで日本代表に選ばれた。すると「ベルリンの奇跡」のプレッシャーにさらされた。

 1936年開催のベルリン五輪。初めて五輪サッカーに参加した日本の初戦の相手、スウェーデンは優勝候補の一角を占めていた。0-2で迎えた後半、アウトサイダーの日本が3点を奪って逆転勝利。世界が驚いた大どんでん返しが「ベルリンの奇跡」と呼ばれているわけだが、その奇跡を演じたチームの半数以上が早大の先輩だった。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    参政党が消せない“黒歴史”…党員がコメ農家の敵「ジャンボタニシ」拡散、農水省と自治体に一喝された過去

  2. 2

    極めて由々しき事案に心が痛い…メーカーとの契約にも“アスリートファースト”必要です

  3. 3

    遠野なぎこさんを追い詰めたSNSと芸能界、そして社会の冷酷無比な仕打ち…悲惨な“窮状証言”が続々

  4. 4

    ドジャース大谷翔平がついに“不調”を吐露…疲労のせい?4度目の登板で見えた進化と課題

  5. 5

    “お荷物”佐々木朗希のマイナー落ちはド軍にとっても“好都合”の理由とは?

  1. 6

    清水賢治社長のセクハラ疑惑で掘り起こされるフジテレビの闇…「今日からシリケン」と“お触り続行”の過去

  2. 7

    カブス鈴木誠也「夏の強さ」を育んだ『巨人の星』さながら実父の仰天スパルタ野球教育

  3. 8

    千葉を「戦国」たらしめる“超過密日程”は今年の我が専大松戸に追い風になる手応えを感じています

  4. 9

    趣里はバレエ留学後に旧大検に合格 役者志望が多い明治学院大文学部芸術学科に進学

  5. 10

    参政党が参院選で急伸の不気味…首都圏選挙区で自公国が「当選圏外」にはじかれる大異変