昭和の名遊撃手、元阪急の大橋穣さんが死去「これぞ鉄砲肩。半世紀前から今のメジャー級のプレーをしていた」
「ガバガバ杯を重ねるこちらに対し…」
ドラフト1位で入団しながら、3年目を終えた71年オフにトレードで阪急へ移籍。阪急の西本幸雄監督の強い求めによるものだった。阪急では75年からのリーグ4連覇、3年連続日本一に大きく貢献。リーグ最多の7年連続で遊撃のダイヤモンドグラブ賞を獲得するなど、一時代を築いた。 82年に現役を引退したあとは阪急、オリックス、中日、ヤクルトでコーチを歴任。ヤクルトの守備・走塁コーチとして三塁ベースコーチを務めた93年には球団15年ぶりの日本一に貢献した。
「東映時代は、大下と大橋と3人でよく飲みに行った。ガバガバと杯を重ねるこちらに対し、大橋は穏やかに笑って静かに飲んでいた。真面目で抜群に人が良かった。79歳はまだ若い。残念です」(高橋氏)
昭和の野球界を彩った名選手がまたひとり旅立った。