清原和博さんの「思わぬ一言」で鼻の奥がジーン、泣きそうに。チーム内では“番長”とは別人だった
清原にはコワモテのイメージが先行した。「番長」などと言われ、傍若無人な振る舞いが強調された。実際にそれも清原の一面だが、チーム内では別人だった。
「打線が援護できずに負けた試合後、キヨさんはロッカーを出る前に必ずピッチャーのところにわざわざ行って、『きょうはスマンかった。次は必ず打つからな』と謝ってから帰る。そんなことができる人、なかなかいませんよ」
その清原に松井秀喜(現エンゼルス)も江藤智(現巨人コーチ)もいた00年の巨人が「最強だった」と仁志が振り返る。
▽1971年10月4日、茨城県生まれ。1年生からレギュラーを張った常総学院では3年連続で夏の甲子園に出場し、準優勝1回。早大、日本生命とアマ球界のエリートコースを歩み、95年のドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。強打好守の二塁手として新人王、4度のゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍した。06年オフに横浜に移籍し、09年限りで退団。米独立リーグ、アトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズでプレーしていた今年6月に現役を引退した。日本での通算成績は14年で1587試合に出場して1591安打(打率.268)、541打点、154本塁打。
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