俺の背番号「22」の誕生秘話…星野監督が「田淵幸一のようになってほしい」と
とはいえ、中日の注目はドラ1の近藤真一一色。指名挨拶に星野さんが来ることはなく、次に会ったのは入団会見だったと思う。
直接ではなかったが、初めて星野さんから“言葉”をもらったのは、背番号の話題になったときだった。スカウトの水谷さんにこう言われた。
「22番はどうや? 星野監督が『田淵幸一のようになってほしいから山﨑には22をつけてほしい』と言っていたんや」
田淵さんは1975年に43本塁打を打って王貞治さんの14年連続本塁打王を阻止した強肩強打の捕手。当時捕手だった俺にもそんな選手になってほしいという意味だったのだろう。
田淵さんと星野さんは親友。今思えば、事前に「指名されても行かない」と宣言しておきながら、星野監督は俺を強行指名した。それだけ期待してくれていたのかもしれない。
その期待の表れは87年、入団1年目の春季キャンプで思い知ることになる。