負けてから没収試合→勝利認定、おかげで初優勝した“お化け実話”
シーズン半ばの5月20日から26日までのことである。パシフィックの4試合が没収試合と認定され、すべてが敗戦扱いとなった。勝ったのはセネタース、阪急、そして1勝1敗だったグレートリングは、その1敗が没収試合により一転して勝利に変わったのである。
巨人が「勝てばプレーオフ」に持ち込めた最終戦に敗れたため、この勝ち星が最後に生きて、グレートリングに創立9年目にして初の優勝が転がり込んできた。
没収試合の原因はパシフィックが2つの違反をしたからである。巨人に優先交渉権のあった投手のビクトル・スタルヒンを獲得したこと、藤井勇(42年阪神)と白石敏男(43年巨人)を不正に出場させたことに対する制裁だった。監督の藤本定義は巨人の元監督だったことを利用し、さらに戦後のどさくさ球界に付け込んだ。
処分は「出場停止1週間、制裁金200円」。3選手はその後に登録が認められ、白石は48年に巨人へ戻った。
グレートリングは登録24人という最少人数だった。このチームは加えて珍事があった。この頃、米国進駐軍の兵士がよく野球観戦で球場に来た。グレートリング戦のスタンドに座ると「ホントか!」とクスクス笑うのだった。
この球団名は親会社が鉄道だったことから「大車輪」の意味で命名したのだが、米国では女性に関する隠語。球団は慌ててシーズン中にもかかわらず「近畿」と変えた。翌年から「南海」となった。