故・野村監督が仕掛けた打倒巨人の奇襲作戦に身内のボクまで騙された
「オレじゃないの?」
実は、開幕する1週間前くらいに、投手コーチから「開幕はオマエでいきたいと言っている」と伝えられていました。前年、チームトップの12勝(5敗8セーブ)をマークしていたので、どう考えてもオレやろう、と思っていました。
しかし、テレビや新聞で野村さんの話を聞くと、「左投手、左投手」と言うばかり。その前年のオフ、ヤクルトは現役メジャーリーガーだった左腕のバニスターを獲得しました。決して野村さんは「バニスター」とは言いませんでしたが、報道陣も完全にこの助っ人左腕が開幕投手だと思い込んでいたのでしょう。ボクの周りには誰一人として取材に来てくれません。
でも、開幕投手はボクでした。巨人は一杯食わされたと思います。新聞で近藤さん(昭仁=当時巨人ヘッドコーチ。元横浜監督など)が「やられた」と言っていましたからね。
その日、巨人は左投手対策として1番に川相さん(昌弘=巨人二軍監督)、2番に篠塚さんを置きました。開幕投手はボクだと踏んでいれば、1、2番の打順は逆だったでしょう。野村さんは強い巨人を倒すため、十八番の「奇襲作戦」を仕掛けたのです。