星野仙一さんから飛び出した「日刊ゲンダイに悪口を書かれてこそ一流」の真意
「話が聞きたかったら、会社を辞めてから来いっ!」
血気盛んだった第1次政権時には名刺を渡す本紙記者に、「オレに話が聞きたかったら、会社を辞めてから来いっ!」と声を荒らげることが常だった星野監督のことだ。それなりの思惑や計算があったのだろうが、それでも、「日刊ゲンダイに悪口を書かれてこそ本物だ。一流の証明や」とは正直、驚いた。そして、星野監督は追い打ちをかけるように、「これは本心やぞ」と念まで押して話をやめた。
「嫌みですかね。ホメ殺しにあいました」
取材の輪が解け、遠巻きに見ていた古株のチーム関係者にそう話しかけると、彼は「面食らったやろ」と笑いながら、こう続けた。
「星野は一般紙、スポーツ紙はもちろん、夕刊紙から週刊誌にまで目を通す。その週刊誌もゴシップものからお堅い経済ものまで幅広い。遠征の際に駅の売店でどっさりと新聞や雑誌を買い込み、それをグリーン車で広げて熱心に読んでいる。第1次政権のころは自分に対して批判的な記事を見つけると、それこそ烈火のごとく怒ったが、浪人生活を経て96年に監督に復帰してからは確かに大人になった。星野はもともと、反骨の男。スポーツマスコミの美辞麗句を見ると逆にバカにされているんじゃないかと思うタイプ。過剰な賛辞は人間をダメにすると考えている。だから、選手を手放しでホメるようなことをしない。批判されてこそ本物というのは星野の本心だろう」
その5年後、中日を去った星野監督は阪神の指揮官に電撃就任。中日以上のシビアな視線にさらされることになった。当然、日刊ゲンダイは厳しい批判記事も書いたが、嫌みを言われたり、怒鳴られることはあっても、取材を拒否されたことは一度もなかった。
(森本啓士/日刊ゲンダイ)


















