「実績見たら当然だよな?」背番号7を“横取り”しても辻竜太郎に悪いとすら思わなかった
2004年オフに新規参入した楽天への入団を決意した。
契約交渉の相手は楽天の初代編成部長だった広野功さん。初めは「年俸3000万円」を提示されたが、「年俸5000万円+出来高払い」にしてもらった。
広野さんといえば、背番号のことを思い出す。その年の12月、友人との韓国旅行中に携帯電話が鳴った。
「山﨑、背番号のことなんだけど、どうする?」
「何番が空いているんですか?」
「それが、ほとんど決まっちゃっているんだよ」
そう言って、2ケタの背番号を2つほど提示されたが、「嫌です」と即答した。どうしても「7番」が欲しかった。娘の名前が「菜々」だから。
中日がリーグ優勝した1999年に生まれた。当時まだ5歳。オリックス時代は単身赴任で家を空けることも多く、久しぶりに帰れば「パパ、次はいつ帰ってくるの?」と聞かれるのがお決まり。そのたび「パパ!」とくっついて離れない。かわいくて仕方なかった。


















