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羽川豊プロゴルファー

1957年栃木県出身。79年日本学生ゴルフ選手権優勝。翌80年にプロテストに合格すると、ルーキーイヤーの81年は日本オープン、日本シリーズに優勝。同年代の湯原信光、倉本昌弘とともに「ニューウェーブ三羽烏」と呼ばれた。82年にはメジャーのマスターズから招待され、初出場で15位。「世界最強レフティー」と絶賛された。現在はシニアツアーでプレー。テレビ解説者としても活躍している。

私と同じレフティー細野勇策の初優勝で思い出した「必要は発明の母」だった時代

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 昭和の頃までは、箸や鉛筆を右手に持ち替えるように言われていたことも影響しているのかもしれませんが、個性を尊重する時代にレフティーのゴルファーがほとんどいないのは残念です。

 私がゴルフを始めたときも、左用の中古クラブはなく、グラブは販売もしていませんでしたが、中学までやっていた野球も左打ちでしたから、左で打った方が飛距離が出たので右打ちにはしませんでした。ようやく手に入れたクラブも、職人さんは右利き用ばかり作っているのでフェースの向きが微妙に違う。そこでゴルフ工房に出向き、「シャフトをこう入れて」と、あれこれ要望を聞いてもらっていました。それでも100%自分にマッチしたクラブはプロになった当時でさえ使ったことがありません。

 自分に適したヘッドがなければ、こちらが合わすしかない。「必要は発明の母」といいます。「必要」なら人間は考える。例えば、サンドウエッジも右打ちのようにグースやライやバウンス角が異なるものがいろいろないので、与えられたクラブで低い球や止める球の打ち方を覚えました。


 クラブに対する考え方やアイデアで脳を稼働させることはプレーにも生きます。難グリーンを攻める際、あらぬ方向の傾斜を利用する。ボールを大きく曲げてしまい、林から脱出が困難な時も、普通とは異なる視点を持てば選択肢は増えます。 マスターズの生みの親であるボビー・ジョーンズは「ゴルフは耳と耳の間のゲーム」と言いました。用具の著しい進化や過度に整備されたコースは、ゴルフから「考える」楽しさを奪ってはいないか。細野の優勝で若かりし頃を思い出し、そんなことを考えました。

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