「羽田空港アーカイブ 1931-2023」徳間書店責任編集 羽田航空宇宙科学館推進会議監修

公開日: 更新日:

「羽田空港アーカイブ 1931-2023」徳間書店責任編集 羽田航空宇宙科学館推進会議監修

 日本の空の玄関として親しまれ、「羽田空港」の通称で呼ばれる「東京国際空港」。その原点である「東京(羽田)飛行場」が開港したのは1931年8月25日だった。それまで日本の民間航空は、立川陸軍飛行場に間借りしていたが、開港に伴って新たに建設された「羽田」へと移転したという。

 本書は、羽田空港の倉庫に眠っていた数万枚の記録写真をもとに、その90余年の歴史を振り返る記録写真集。

 開港当時の滑走路は、300メートル×15メートルの1本だけで敷地面積は53ヘクタールほどだったが、何度かの拡張工事を重ね、現在は最長3360メートル×60メートルをはじめとする滑走路が4本、敷地面積も約30倍に拡大した。

 まずは航空写真で、その変遷をたどる。開港当時の地図には、飛行場の東側に競馬場があり、敷地の中央には「鴨猟場」と呼ばれる池がある。航空写真によって1940年代まで、その池が残っていることも分かる。

 さらに1955年に運用が始まる旧ターミナルビルの建設や、1964年の東京オリンピックに対応すべくC滑走路の拡張工事をはじめ、1993年の現ターミナルビルや、2004年に第2ターミナルビルが併用開始され現在の姿になるまで、その歴史がひと目で鳥瞰できる。

 また、その旧ターミナルビルの建設や、1993年に役目を終えて解体されていく姿、さらに現ターミナルビルの建設の過程も克明に記録されている。

 世代によっては、旧ターミナルビルの前の大駐車場にそびえる赤い大鳥居の姿に懐かしさを覚える人もいるのではなかろうか。

 何とも場違いな場所に立っていたこの大鳥居は、かつてこの地にあった穴守稲荷神社の名残。終戦後、飛行場を接収した連合軍によって神社は強制退去を命じられ、占領軍の撤収後、その本殿跡に建てられたのが旧ターミナルだったのだ。

 1978年の新東京国際空港(成田空港)開港まで担った国際線の出発・到着ロビーをはじめ、レストランなど旧ターミナルビル内の各施設の様子や、見物客でごった返す展望デッキ、日本初の旅客機YS-11の実機が展示された屋上遊園地など、空港内の日常を紹介。

 さらに、ビートルズやイギリスのダイアナ妃、そして各国の首脳など、来日した有名人やVIPらが羽田に降り立った際のスナップなども収録。

 そして本書の陰の主役ともいえるのが、空の貴婦人といわれた名機ダグラスDC-8やジャンボジェットの愛称で親しまれたボーイング747など、世界中から羽田に降り立ったさまざまな飛行機たちの雄姿だ。

 ほかにも、ターミナルビルから搭乗機へと旅客を運んだランプバスや巨大な飛行機を牽引するトーイングタグ車といった空港で働く車など、乗り物好きにはたまらない写真も数多く収録されている。

 ページをめくりながら、読者の脳裏に初めて羽田空港を利用した日の思い出が蘇るに違いない。

(徳間書店 3850円)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    日本中学生新聞が見た参院選 「参政党は『ネオナチ政党』。取材拒否されたけど注視していきます」

  2. 2

    松下洸平結婚で「母の異変」の報告続出!「大号泣」に「家事をする気力消失」まで

  3. 3

    松下洸平“電撃婚”にファンから「きっとお相手はプロ彼女」の怨嗟…西島秀俊の結婚時にも多用されたワード

  4. 4

    阪神に「ポスティングで戦力外」の好循環…藤浪晋太郎&青柳晃洋が他球団流出も波風立たず

  5. 5

    俺が監督になったら茶髪とヒゲを「禁止」したい根拠…立浪和義のやり方には思うところもある

  1. 6

    (1)広報と報道の違いがわからない人たち…民主主義の大原則を脅かす「記者排除」3年前にも

  2. 7

    自民両院議員懇談会で「石破おろし」が不発だったこれだけの理由…目立った空席、“主導側”は発言せず欠席者も

  3. 8

    参政党のSNS炎上で注目「ジャンボタニシ」の被害拡大中…温暖化で生息域拡大、防除ノウハウない生産者に大打撃

  4. 9

    自民党「石破おろし」の裏で暗躍する重鎮たち…両院議員懇談会は大荒れ必至、党内には冷ややかな声も

  5. 10

    “死球の恐怖”藤浪晋太郎のDeNA入りにセ5球団が戦々恐々…「打者にストレス。パに行ってほしかった」