教育も医療も「既製品」しか認められない…日本社会は「普通」を求めている?
政府、行政にしてみれば、こういった「まあ、そんなところで我慢してよ!」は仕方がないのでしょう。
政府は国民から税金を取り立て、その一部が政治家や天下り役人に巡り巡っていますが、残りは一番不遇な人に照準を合わせて「文化的で健康的な生活ができるよう」、彼らなりにいろいろと制度を考えて実現しています。東京都の場合、私立高校の授業料補助は親世帯の収入に上限はありません。
さて、こういった「大きな政府」で「人とお金を十分かけて平均をしっかり維持」する「福祉国家の正義」については、長らく議論されてきました。
でも、平均、普通っていうけど、それに至らない、失礼な言い方ですが、それ以下のケースはどうなるの? 無理じゃん! アメリカの哲学者ロバート・ノージックはそんな異論を発しました。
そういうケースは存在自体が知られていないことが多いでしょう。哲学者ジョン・ロールズの「無知のベール論理」です。経済的理由、住んでいる場所、身体的理由で平均とか普通とか、文部科学省が好きな「一般に想定し得る教育環境」が到底得られないケースは、無視されているのでしょうか? これも答えの出ない「問い」です。


















