『スピノザの診察室』マチ先生が白衣に忍ばせた「濃茶の金平糖」 1847年創業、AIでも再現できない職人技とは
2023年と2026年に本屋大賞にノミネートされた夏川草介さんの小説『スピノザの診察室』『エピクロスの処方箋』の主人公で、消化器内科医の雄町哲郎。通称「マチ先生」の白衣のポケットに、いつも入っているのは「濃茶の金平糖」。「口に入れると爽やかな茶葉の香りが口いっぱいに広がる」と、マチ先生が言う金平糖は、京都出町柳に本店がある「緑寿庵清水」のもの。1847年の創業以来、一子相伝の伝統製法を守り、製造・販売を行う。著者の夏川草介さんもたびたび訪れるという金平糖専門店を取材した。
◇ ◇ ◇
「『帰ってこんでもいいと思っていた』そうです」
緑寿庵清水は江戸時代末期・弘化4年(1847年)に現在の本店のある京都・百万遍に誕生した。五代目となった泰博さん(61)が会社員を経て、緑寿庵清水の金平糖を継承するために戻ってきたのは30歳のとき。五代目が幼少の頃から、「金平糖作りはあまりに過酷な仕事。我が子には苦難を経験させまい」との親心から、泰博さんの母である先代の女将はそう言ったという。金平糖づくりは今でも、本店に隣接する工房ですべて手作業で行われている。
金平糖づくりは繊細で、過酷だ。「イラ粉」と呼ばれる小さな核に糖蜜をかけてはコテでほぐし、200℃前後の釜の上で育てあげる。金平糖の特徴的なイガは、約3日目になってようやく現れる。直径1cmほどの金平糖ができるまでには約2週間かかる。毎日、ひたすら熱い釜の前に立ち、まさに子どもを育てるように愛情を込め、丹念に蜜の層を重ねていく。根気のいる作業だ。
五代目である泰博さんは体力に自信があったという。野球一筋で、全盛期のPL学園で戦後初の選抜V2を成し遂げた時代のレギュラーメンバーでもある。さらに大学野球、そして社会人になっても野球を続けた。真夏の練習や試合でもへっちゃらだった。だが、30歳で実家に帰ってきて初めて工房に立った日は、風呂にも入れず食事も喉を通らないほどにへとへとのまま、倒れこむように眠ってしまったという。
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