『スピノザの診察室』マチ先生が白衣に忍ばせた「濃茶の金平糖」 1847年創業、AIでも再現できない職人技とは
金平糖づくりは体力だけではできない。レシピはない。その日の天候や気温、湿度によって変化する金平糖の状態を見極めるため、職人は五感を研ぎ澄ます。金平糖が釜を流れる微妙な音の違いによって蜜の濃度や釜の温度、角度や速度などを調整しなければならない。技の体得には「蜜掛け10年、コテ入れ10年」と20年以上もの修行を要するが、ゴールはない。職人は「今日よりも明日、もっと美味しい金平糖を」という執念のもとで金平糖作りに励む。
「野球なら守備と攻撃でメリハリがありますでしょう? 攻撃の回には自分の打順が回ってくるまでの間、少し息をつくこともできます。でも金平糖づくりは作り始めてからできあがるまで、ずっと五感を全集中させる仕事です。蜜をかけるタイミング、蜜の濃さを変えるべきタイミング、できあがりのタイミング……。職人たちは金平糖のかすかな音の違いを聞き分け、金平糖の状態を見極めています。作業場では音楽を流すこともありません」
AI全盛の現代でも機械でコントロールすることはできないのだろうか。手作りでは叶わない大量生産も可能になるのでは? と質問してみた。女将さんはにっこりと答えてくれた。
「今後のことは分かりませんが、うちの金平糖作りは代々が紡いできた特殊な製法。機械化するのは難しいでしょうね」
金平糖はひとつの砂糖の塊ではない。職人の丁寧な手作業によって、何層にも砂糖と素材が重なり合ってできている。緑寿庵清水の金平糖は、噛むと口いっぱいに素材本来の味が広がり、完全にないはずの水分を感じる。そして口の中で、ほろりと崩れる。
「それを『ほどき』て言いますねんけど、それがうちの金平糖のこだわりです。一日に何時間も、少しずつ蜜をかけては釜の中で転がして、それを何日もかけてやっとできあがる。金平糖は焦ったらできません。前にかけた蜜が乾ききらんうちに次の蜜をかけたら、みんなくっついてしまいます。そうなったらもう金平糖にはなりません」
焦れば、良いものは作れない。根気強く作業を続けられるかどうか、集中力を維持できるかどうかが出来を左右する。緑寿庵清水の金平糖には、効率だけでは測れない仕事の精度がある。 「マチ先生」のポケットに入っていた小さな一粒は、積み重ねた時間を口の中で、静かにほどいてみせる。
(取材・文=森佳乃子/ライター)
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