宮田律
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宮田律現代イスラム研究センター理事長

1955年、山梨県甲府市生まれ。83年、慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修了。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院修士課程修了。専門は現代イスラム政治、イラン政治史。「イラン~世界の火薬庫」(光文社新書)、「物語 イランの歴史」(中公新書)、「イラン革命防衛隊」(武田ランダムハウスジャパン)などの著書がある。近著に「黒い同盟 米国、サウジアラビア、イスラエル: 「反イラン枢軸」の暗部」(平凡社新書)。

レバノン大爆発…逃亡したゴーン被告に迫る深刻な危機

公開日: 更新日:

(宮田律/現代イスラム研究センター理事長)

 8月4日、レバノン・ベイルートの港湾地区で発生した大爆発は、100人以上が死亡し、4000人以上が負傷した。ベイルート中の建物のガラス窓が壊れ、その振動は260キロ余り離れたキプロス島にまで達したという。レバノンのアウン大統領は、2750トンもの硝酸アンモニウムが十分な安全措置が施されないまま爆発したと述べた。

 さて、ここで気になるのは、日本から逃亡している日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告(66)だ。自宅が被害を受けたと被告の妻キャロル容疑者(偽証容疑で逮捕状が出ている)がブラジル紙に語っている。ゴーン被告の自宅は、ベイルートの高級住宅街アシュラフィーヤ地区にあるが、爆発の現場から1~2キロ離れたところにある。日本よりも安全だと思って逃げ込んだ場所に、とんだ大災難が待ち構えていたというわけだ。

 先日、筆者が日刊ゲンダイDIGITAL「レバノンがゴーンを引き渡す日…経済危機とコロナで混迷」(7月25日配信)で書いた通り、レバノン社会は深い混迷の中にあり、急速に秩序を失っている。レバノンのハッサン・ディアブ首相は責任者を追究し、相応の罰を与えると述べたが、政治、社会、あるいは経済の深い混乱の中にある現在のレバノンを象徴するかのように今回の大事故は発生した。

■ゴーン被告が暮らす高級住宅街は“表参道”のような場所

 ゴーン被告が住むアシュラフィーヤ地区は、閑静な丘の上にある住宅・商業地区で、街路樹が整然と立ち並び、オスマン帝国やフランス様式の高級住宅も少なくない。ABCモールなど大規模な商業施設とともに、ブランドものの高級衣料品も売るブティックも数多くある。東京で言えば、表参道のようなところだ。

 しかしこのアシュラフィーヤ地区は、1975年から90年のレバノン内戦時代はキリスト教マロン派の民兵組織の拠点であり、シリア軍の砲撃があったり、自動車爆弾が炸裂したりするなど激戦の舞台となり、多くの家屋が破壊された。現存する建物は内戦終結後に再建されたものが多い。レバノンは18の宗派が混在するモザイク社会で、宗派対立が今回の大爆発が引き金になって再燃することも否定できない。30年間微妙なバランスを保ってきたレレバノンの宗派社会も、昨年來からの混乱で崩れる可能性を秘めている。レバノンで再び宗派対立が激しくなれば、ゴーン被告が住むアシュラフィーヤ地区は混乱や紛争の舞台になりかねない。

ゴーン被告も“腐敗した富裕層”の一人

 現在、レバノンの子どもたちは飢餓に苦しんでいる。子ども支援の国際組織の「セーブ・ザ・チルドレン」によれば、子ども56万4000人を含む91万人が食料も含む十分な基本物資が買えない状態にある。また、「セーブ・ザ・チルドレン」によれば、食事とアパート賃料は昨年からの1年間で169%上がり、インフレによって国民の購買力は85%も落ち込んだ。

 レバノンの多くの国民は救いようがないほどの経済的困難に陥っているが、社会・経済問題は政府の腐敗と無能、ネポティズムによるものと国民には広く考えられている。レバノンでも新型コロナウイルスの感染が深刻で、政府の発表では感染者は5000人余り、死者は65人ぐらいだが、この数字を信じている国民は少ない。ウイルスを深刻に受け止める政府は再度のロックダウンの措置をとろうとしている。コロナウイルスも経済の悪化に拍車をかけ、レバノンでは若年層の失業率は60%以上とも見られ、50%のレバノン国民が十分な食事をとれていないと感じている。

 レバノンの政治社会は内的な爆発寸前の状態で、貧困層の不満や怒りが私服を肥やしてきた富裕層に向かっていく可能性がある。昨年10月から広範に発生している反政府デモは、不正に蓄財してきた政治家や企業家たちへの怒りとなり、既成の政治を変えることがスローガンとなっている。ゴーン被告は決して安全ではない、不安定で、危険な国に逃亡した。彼もまた貧困に直面している多くの国民から見れば腐敗した富裕層の一人だ。

 ベイルート南部は、シーア派の政治・軍事組織ヒズボラの拠点だが、経済的には貧困層がひしめき合って暮らしている。イラン革命がテヘラン南部の貧困層の怒りが爆発して成立し、テヘラン北部の高級住宅街に住んでいた少数の富裕層は国外逃亡を余儀なくされた。レバノンも似たような過程を歩んでいるように見えるが、国際的に指名手配されているゴーン被告には国外逃亡という選択肢はない。レバノンの大きな政治変動は彼の境遇をいっそう危うくするだろう。

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