樋口メリヤス工業 中江優子社長<4>大阪のオバちゃんは辛辣
百貨店のバイヤーが興味を示した「つつした」は、当時はまだ“かかと”があった。試行錯誤をしていた3年ほど前、リクルートから声がかかる。年に1度行われるチャリティー事業で、200人のデザイナーとコラボ展示会を行わないかという要請だった。
だが、条件は厳しく、1カ月以内に170点の試作品を作らないといけないことに加え、2カ月で5000足の靴下を納品しなければならない。
「これ以上、仕事が出来ないというくらい働きました。24時間、ほとんどつつしたのことばかり。でも、人間やればできるもの。奇跡が起こったのです」
その甲斐あって、東京・銀座のリクルート本社ギャラリーで行われた展示会は大盛況。ロフトや阪神百貨店のバイヤーも訪れ、新生「つつした」を取り扱ってもらえるようになった。マスコミでも「つつした」が取り上げられ取扱店も増えていった。