ENEOS HD(上)突然失脚した最高権力者・杉森務前会長の実力
■ ブランドを「ENEOS」に統一
本社の人事課などで10年間を経験した。営業を希望していた杉森にとって、人事課勤務は本意ではなかったが、この時期、「名前と顔、性格を覚えるために3000人超の社員と飲み会を重ねた」と本人は語っている。
酒豪、こわもて、剛腕が杉森の形容詞である。一橋大学野球部出身という体育会系の気質も手伝って、このイメージが定着した。
自ら希望して販売部門に移る。特約店と強気な交渉を続け、“日石の販売のドン”と評されていた渡文明(元新日本石油社長、20年12月に84歳で死去)の目に留まった。いつしか、“販売のエース”と呼ばれるようになる。
「取引先と宴席を重ねることで信頼関係を築くタイプ。昭和のモーレツサラリーマンを絵に描いたような人物」(業界誌記者)といわれてきた。
“アブラを売る”ことで頭角を現した杉森は出世階段を駆け上がっていくことになる。
2度のオイルショックなどで石油元売り業界は合併・再編の嵐に見舞われる。