人形町今半 髙岡慎一郎社長(3)大卒後OA機器の営業マンに 月100時間の残業になる時も

公開日: 更新日:

「とにかく朝9時から午後5時まで会社にいるな! という営業方針。毎日毎日、飛び込みで午前中に3~4社、午後に4~5社、1日平均10社近く回りました。営業マンだけで約50人。日本電気の名刺を使えたので、飛び込み先の中小企業の社長も会ってはくれました。夕方5時以降、職場に帰ってきて、その日の営業報告書を書きます。報告書を書き終えると、同僚や先輩と雑談や情報交換をするという毎日でした。この雑談が営業のネタ拾いに役立ちました。人脈を紹介し合ったりして、翌日の売り込みにつなげるのです。まだ昭和58年の頃、残業は月平均50~60時間は当たり前、100時間になる時もありましたね。上司は『残業が60時間を超えると成績が上がる』なんて言っていました。今でいえばブラック労働になりますが、当時はそれが当たり前でした」

 毎日毎日、足を棒にして営業したが、さすがに3000万円のオフィスコンピューターは簡単には売れなかったが、入社から半年後、やっと1台、売れた。

「半年間、東京・八王子の中小企業の工場に毎日通っていました。そこの社長が突然『お宅から買うよ!』と言ってきたのです。その頃は、必死に営業するのではなく、習慣でその会社に顔を出しに行っているような状況でした。売ろう、売ろうという気持ちがなくなったことで、逆に信頼されたのかもしれませんね。天にも昇るほどうれしかった。ただ、この案件は、オフコン設置後、SE(システムエンジニア)と、その社長が喧嘩してしまい、結局、返品されてしまいました。私がいろいろな付帯サービスをつけたので、SEが『こんなのできない』と突っぱねたのが、喧嘩の原因でした。仕事というのはチームワークでやるものだということを骨の髄まで学びました」

 髙岡は3年半後、1986年11月、人形町今半に入社した。=つづく

(外食ジャーナリスト・中村芳平)

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース「佐々木朗希放出」に現実味…2年連続サイ・ヤング賞左腕スクーバル獲得のトレード要員へ

  2. 2

    国分太一問題で日テレの「城島&松岡に謝罪」に関係者が抱いた“違和感”

  3. 3

    ギャラから解析する“TOKIOの絆” 国分太一コンプラ違反疑惑に松岡昌宏も城島茂も「共闘」

  4. 4

    片山さつき財務相の居直り開催を逆手に…高市首相「大臣規範」見直しで“パーティー解禁”の支離滅裂

  5. 5

    ドジャース佐々木朗希の心の瑕疵…大谷翔平が警鐘「安全に、安全にいってたら伸びるものも伸びない」

  1. 6

    小林薫&玉置浩二による唯一無二のハーモニー

  2. 7

    森田望智は苦節15年の苦労人 “ワキ毛の女王”経てブレーク…アラサーで「朝ドラ女優」抜擢のワケ

  3. 8

    臨時国会きょう閉会…維新「改革のセンターピン」定数削減頓挫、連立の“絶対条件”総崩れで手柄ゼロ

  4. 9

    阪神・佐藤輝明をドジャースが「囲い込み」か…山本由伸や朗希と関係深い広告代理店の影も見え隠れ

  5. 10

    阪神・才木浩人が今オフメジャー行きに球団「NO」で…佐藤輝明の来オフ米挑戦に大きな暗雲