著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

水沼貴史・宏太父子の「韓国戦が代表初ゴール」は真夏の夜の夢に終わった

公開日: 更新日:

 日本代表の4大会ぶり2度目の優勝で幕を閉じたEAFF東アジアE-1選手権。最終戦となった韓国戦は、序盤から国内組で構成された日本が押し気味に進めると後半4分、ボランチの藤田譲瑠チマのクロスを身長166センチのFW相馬勇紀がヘッドで決めて先制。相馬は後半19分にも左CKから左SB佐々木翔のゴールをアシストする。

 そして後半27分には中学、高校時代をJFAアカデミー福島で過ごした右SB小池龍太の右クロスを1トップの町野修斗がフリーで押し込んで韓国を突き放した。相馬と町野は大会通算3ゴールで得点王に輝き、2アシストもマークした相馬が大会MVPを獲得した。

■父・貴史氏は初代アイドルだった

 そんな日韓戦で注目したのが、最年長32歳で初の代表入りを果たしたFW水沼宏太だった。

 水沼の父親である貴史氏は、浦和南高時代に全国高校サッカー選手権で優勝。高校サッカーが生んだ<初代アイドル>でもある。法政大では総理大臣杯に2度優勝。1979年に日本で開催されたワールドユース選手権(現U-20W杯)では、日本唯一のゴールをメキシコ戦で記録した(優勝したのはディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチン)。

 大学卒業後は日産自動車に入り、当時の加茂周監督(元日本代表監督)は「ベンチから見ていて、言わなくても交代で出場したら何をすべきか知っているクレバーな選手」としてスーパーサブ的な起用が多かった。

 賀茂監督は、右ウイングのポジションを争っていた木村和司氏をゲームケーカーにコンバート。右ウイングに定着した貴史氏は、左ウイングの金田喜稔氏とともに攻撃的なチームを牽引。天皇杯や日本リーグなど2年連続して三冠を達成するなど日産の黄金時代を築いた。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    参政党・梅村みずほ議員の“怖すぎる”言論弾圧…「西麻布の母」名乗るX匿名アカに訴訟チラつかせ口封じ

  2. 2

    二階堂ふみと電撃婚したカズレーザーの超個性派言行録…「頑張らない」をモットーに年間200冊を読破

  3. 3

    選挙3連敗でも「#辞めるな」拡大…石破政権に自民党9月人事&内閣改造で政権延命のウルトラC

  4. 4

    11歳差、バイセクシュアルを公言…二階堂ふみがカズレーザーにベタ惚れした理由

  5. 5

    最速158キロ健大高崎・石垣元気を独占直撃!「最も関心があるプロ球団はどこですか?」

  1. 6

    日本ハム中田翔「暴力事件」一部始終とその深層 後輩投手の顔面にこうして拳を振り上げた

  2. 7

    「デビルマン」(全4巻)永井豪作

  3. 8

    【広陵OB】今秋ドラフト候補が女子中学生への性犯罪容疑で逮捕…プロ、アマ球界への小さくない波紋

  4. 9

    広陵・中井監督が語っていた「部員は全員家族」…今となっては“ブーメラン”な指導方針と哲学の数々

  5. 10

    キンプリ永瀬廉が大阪学芸高から日出高校に転校することになった家庭事情 大学は明治学院に進学