藤田宗一(2)第1回大会では王監督の「言霊」でベンチの雰囲気が一変、チームが一つに

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帰国後の後遺症に苦しんだ

 準決勝で韓国、決勝でキューバを下して世界一の美酒に酔いしれたのも束の間、帰国後は“後遺症”に苦しんだ。

「(WBC球は)滑りやすい上に、マウンドが硬い。日本とは感覚が違いすぎて踏ん張りがきかず、渡米後すぐ内転筋を痛めてしまった。当時は帰国してすぐにシーズンの開幕を迎えましたが、1カ月間ほど、ブルペンでボールがフワッと浮く感覚が続き、真っすぐは135キロくらいしか出なかった。

 今は日本からメジャーに行く選手も増えて情報量も多いけど、自分たちのときはアキさん(大塚晶則=当時レンジャーズ)に教えてもらうくらい。今、メンバーに選ばれたらまず最初にやることはスパイクの刃を短くしますね。日本で使う長い刃だと、足にロックがかかりすぎる。大会が終わってからその話を聞いて、しまったなと(笑)」

 王監督とのつながりはその後も続いた。WBCの出場から4年後の10年。巨人を戦力外になり、なかなか移籍先が見つからなかった。

 周囲に促されるまま、球団会長になっていた王監督へダメ元で電話。育成契約を勝ち取った。今年のソフトバンクキャンプにも訪問した。

「練習場の中に入れなかったので、わざわざ王会長に入り口まで来てもらい、ご挨拶させてもらいました。『去年、ロッテに帰ってきました』と報告したら、『子供たちがプロ野球選手になれるように頑張って育ててあげてよ』と優しい言葉をかけていただきました」

 選手の心を掴む指揮官の存在も世界一奪還に不可欠だ。

▽藤田宗一(ふじた・そういち) 1972年、京都府生まれ。97年のドラフト3位で西濃運輸からロッテに入団。1年目から50試合以上マウンドに上がり、3年目にはリーグ最多70試合に登板。2005年にはリーグ優勝と31年ぶりの日本一に貢献し、薮田安彦、小林雅英と共に勝利の方程式「YFK」と呼ばれた。07年に戦力外通告を受け、巨人に入団。10年オフに再び戦力外となり、11年にソフトバンクと育成契約。開幕前に支配下登録され、通算600試合登板を達成。独立リーグを経て12年に現役引退。22年1月から古巣ロッテでマリーンズ・ベースボールアカデミーのコーチを務める。

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