幻に終わった西武“2つの長嶋プラン”…「監督をやってくれないか」と打診までしていた
野球ファンのみならず、お茶の間にも絶大な人気を誇った巨人の長嶋茂雄終身名誉監督。かつての西武も、その人気と名声にあやかろうとしていた。
1981年、当時監督だった根本陸夫氏が自身の後任に長嶋氏を据えようと画策したのだ。「球界の寝業師」といわれ、後に球団管理部長としてさまざまなトレード、ドラフト戦略など編成面で辣腕を振るい、その後ダイエー(現ソフトバンク)でも球団の要職を歴任。王監督(現球団会長)の招聘にも成功した。
長嶋氏が80年に巨人監督を辞任した直後は、「西武で監督をやってくれないか」と声をかけたという。
根本氏は関係各所をかけずり回ったものの、81年に招聘を断念。当時、西武に在籍し、通算465本塁打の土井正博氏は日刊ゲンダイの連載で、こう書いた。
「根本さんは『球界が盛り上がるにはONが対決しないとダメだ』という考えから、長嶋さんを西武監督に招聘しようと計画していた。その一方で、次期監督候補には広岡(達朗)さんの名前も挙がっていた。私は根本さんの『来年はやめておけ(引退しろ、の意味)』というひと言で、招聘失敗を悟った」