幻に終わった西武“2つの長嶋プラン”…「監督をやってくれないか」と打診までしていた
時代が下って2000年代前半は…
後に西武黄金時代を築く広岡氏は管理野球で知られていた。一方の土井氏は荒っぽいパ・リーグ一筋。根本氏は「そんな人と土井は水と油」と思い、引退を促したのだろう。
時代が下って2000年代前半、2度目の「長嶋計画」があったという。当時を知る球団OBが言う。
「と言っても、長嶋さん本人じゃない。頭角を現しつつあった中島裕之(現宏之、前中日=写真)を遊撃から三塁に転向させ、『西武の長嶋』として売り出そうとしていたんです。共に天才肌で天然キャラ。ナガシマとナカジマは1文字違い。03年オフには背番号も3になった。ただ、中島は遊撃へのこだわりが強く、三塁転向を拒否したので話は流れてしまいましたが……」
ちなみに05年は「おかわりくん」こと中村剛也が三塁手としてブレーク。球界を代表する長距離砲となった。もし、中島が「西武の長嶋」になっていたら、希代のスラッガーは生まれなかったかもしれない。
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「ミスタープロ野球」は身近に接した誰もに、それぞれの「長嶋像」を強く焼き付けている。日刊ゲンダイの連載では、数多くの球界OBたちが語った“実像”を再構成し、現在、緊急公開中だ。長嶋氏は巨人監督時代、助っ人外国人の「下半身事情」まで心配し、「何なら紹介してやろうか?」と申し出たこともあったという。
そんなユニークな一面を含め、長嶋氏の素顔に迫るエピソードは、関連記事【私が見た長嶋茂雄】…から要チェックだ。