長嶋茂雄と連れ立って石原裕次郎さんのお家で朝まで豪遊した顛末 試合は雨天中止と思ったのに…
2002年掲載 堀本律雄氏による「巨人軍への遺言」(第5回)を再公開
“燃える男”、“ミスター”の愛称で国民的人気を誇ったプロ野球元巨人監督の長嶋茂雄さんが6月3日、都内の病院で肺炎のために亡くなった。享年89。選手、監督として数々の伝説、逸話を残した「ミスタープロ野球」は、身近に接した誰もにそれぞれの「長嶋茂雄像」を強く印象づけてもいる。日刊ゲンダイの連載で多くの球界OBが語ってきたその実像を再構成して緊急公開します。
今回は巨人やオリオンズで投手としてプレー、引退後は複数球団でコーチを歴任した故・堀本律雄氏による「巨人軍への遺言」の第5回(2002年掲載)を再公開(本文中の年齢・肩書きなどは当時のまま)。
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長嶋と連れ立ち、成城にある石原裕次郎さんの家にお邪魔したのは昭和35年6月のことだった。
シーズン中であり、私はまだ一介の新人の身。しかも、チームは三原脩さん率いる大洋とシ烈なデッドヒートを展開している真っ最中とくる。今にして思えば、随分大胆なマネをしたものだ。
その夜、東京は大変な土砂降りだった。翌日は後楽園球場で試合があるが、このぶんでは恐らく中止になるだろう。そう思いながら、まだ新築間もない石原邸に足を延ばした。それ以前から、私と長嶋は、銀座のなじみの店で裕次郎さんと杯をともにする間柄だった。