プロ野球の社会的地位を一変させた長嶋茂雄の存在意義をいま一度噛み締めたい
「人間、何がイヤかって、煩わしさですよ。我が巨人軍はマスコミ球団、煩わしさの最たるもの、毎日が巨人戦ですから」
その流れでこんな話をしてくれた。監督復帰した92年のドラフトで松井秀喜を引き当て、翌年のシーズン後に落合博満を獲得する。落合は40歳でピークを越え、批判を呼んだ。
「将来を嘱望される若手が四六時中、マスコミに囲まれ息もつけない。世間の関心を分散させないといけない。落合君は経験豊かで自分の考えも持った選手です。だから、来てもらった」
東京六大学のスターから巨人に入団した長嶋茂雄も視線を浴びた。「鼻くそもほじれない」ほど……。
関根潤三さんが晩年に話していた。法大から近鉄で活躍し、65年に巨人に移籍、そこからV9が始まる。
「私は六大学、プロ、両方のピークを経験した幸運な男」
プロ野球は戦前に旗揚げしているが、野球といえば東京六大学だった。「職業野球」と呼ばれ、ノンプロ(社会人野球)より格下に見られていたプロ野球を長嶋茂雄が変えた、関根さんはそう振り返った。