収束不可能な「広陵事件」の大炎上には正直、苛立ちに近い感情さえ覚えます
やり玉に挙げられている事柄が必ずしも正しいと限らない。その視点すら持たず、第三者が寄ってたかって広陵を叩く様子に、ネット社会の弊害を痛感しています。正直、苛立ちに近い感情さえ覚えるほどです。
ただ、勘違いしてほしくないのは、私に事件を矮小化する意図は一切ないということ。
広陵の対応には首をかしげます。実際には何が起きていたのか分かりませんが、被害生徒が存在するのは事実。それならば原因と真相を徹底的に追及し、誠心誠意、被害生徒に向き合い、納得できる形で厳正に処罰すべきでした。禍根を残す形で終わらせてしまったから、このような事態を招いたのです。すべての対応が後手に回り、周囲を巻き込みながら全員が不幸になりました。
さらに言うと、甲子園の途中辞退は「生徒を守るため」という理由だそうですが、もともと出場に際し、「問題はない」という信念があったのでしょう? それを覆してしまったことで“疑惑”を深めることになってしまった。一貫性が欲しかったと、残念な気持ちです。
ここ数日、広陵の話題を振られることがありましたが、「真相がわからないから、その話はやめてくれ」とシャットアウトするようにしていました。それでもこの状況には物申したかった。この場を借りて声を上げさせていただきました。
今回の一件で、寮生活の負の側面が露呈しました。私自身、寮のある常総学院で指導した経験があります。次回の当コラムでは、「寮」について思うことを忌憚なくお話しするつもりです。