メガネを理由に指名漏れも…元ヤクルト古田敦也が偉大な捕手になれたワケ
国際大会での適応力、対応力にもたけていた。代表選手といってもさまざまで、海外で一度プレーしただけで、その経験を生かしているなと感じる選手もいれば、そうでない選手もいる。海外遠征に行っても漫然と日々を過ごしていると、日本に比べて暑かったとか、食事がおいしかったという表面的な印象しか残らない。国際舞台で自身の最高のパフォーマンスを発揮するためにはどうすべきか、追求する意欲、意識があるかどうかが大切だ。
古田はそうした意欲、意識が高い選手のひとりだった。自分が成長するためには何をすべきか。自身の長所と短所を理解し、どれだけの期間、何をやれば短所をカバーできるかを計算し、考える力があった。
プロではヤクルト入団2年目に首位打者を獲得し、通算2000安打も達成した。ソウル五輪では予選の台湾戦でサヨナラ安打を放った勝負強さはあったが、アマ時代は打撃に関してはあまり目立つものはなかった。プロでは野村克也さんから多くの野球の知識を叩き込まれてさらに成長を遂げ、偉大な捕手になった。
毎年、年末に行っていた五輪出場メンバーが集う「五輪会」などで再会した際に、「アマ時代は野球が下手だったのに、よくプロ野球で活躍できたな」と冗談めかして言うと、口をとがらせて「いい加減に褒めてくださいよ。首位打者もMVPもゴールデングラブ賞も取ったんですから」と冗談半分、本気半分で返してきたこともあるが、古田をはじめ、プロでトップ選手になっている人は、考える力を持っている人ばかりだなとつくづく感じる。