桑田真澄が「KKドラフト」3日後に早大受験で上京→土壇場で“翻意”の裏側
つまり、早大を受験したら巨人入りの道は閉ざされる、本当にそれでいいんだな、ということだ。桑田から大阪にいる私に電話がかかってきたのは、その日の夜。『監督、すいません。受験はやめました。これから、会見します』との声を聞き、私は『そうか、分かった』としか言えなかった」
翌日、中村監督は自由席の券を握り締めて新幹線に飛び乗り、東京に向かった。関係者にお詫びをするためだった。
「かといって、マスコミの方が大騒ぎする中で、早大を訪ねたら火に油を注ぎに行くようなもの。長船さんに連絡を入れたら、横浜の自宅に来なさいということでうかがった。こちらは『大変、ご迷惑をおかけしました』と頭を下げるしかない。でも、長船さんは怒るどころか、出前の寿司を取ってくれ、雨が降っているからと車で新横浜駅まで送ってくれたり……。
巨人の強行指名にPL学園は無関係と分かってくれていて、その気遣いに救われた。ホッとして帰りの新幹線に乗り、食堂車で時間を潰そうと思ったら、ビールを納品する業者の若者に『アッ、PLの監督や!』なんて言われ、慌てて顔を背けたりね。まるで逃亡者になったような気分だった」