日本のマラソンに火をつけた山田敬蔵の思い出…戦後80年、忘れていけない足跡がある
川崎の公営住宅に伺うと、開拓団の訓練で手榴弾を投げられなかった非力な14歳を笑い、秋田から行った8人の仲間の6人が戻れなかったと泣いた。92歳で他界するまで36万キロ、地球9周分を走破したという。
戦後80年、歴史の風化を嘆く声がある。スポーツも同じだが、大館でいまも続く記念大会前には「心臓破りの丘」の上映会が開かれる。山田少年が孫基禎を見た当時のまま残る映画館で、今年は澤木啓祐さんが思い出を語ったそうだ。忘れてはいけない足跡がある。