「掟」を破ってナゴヤ球場に外車で乗りつけたら「小松の親分」にコッテリ絞られた
俺はプロに入ってすぐ18歳でトヨタのソアラを購入。19歳でホンダNSX、そして20歳のとき、ついに黒のBMWを買った。ちなみに、このときはまだ二軍選手。掟破りの外車デビューを果たしたのだ。
球場や寮に乗りつければすぐにバレてしまうので、当時、西区の寮「昇竜館」と実家が近かったこともあり、実家の駐車場にBMWを隠し置いていた。
しかし、ついに「外車持ち」がバレてしまう。22歳のとき、当時の金額で約1250万円のベンツのSLを購入。うれしくてつい球場に乗って行ってしまった。
すると、小松辰雄さん(1985年に最多勝、最優秀防御率、沢村賞を獲得)に一喝された。
「おい、おまえ、二軍の分際で何乗っとんや!」
「いや、これはあの……家のやつです……」
歯切れ悪く口ごもる。
「何考えとんや。そんなもん売れ!」
当時、先輩の言ったことは絶対。「何でですか!」と反論することはできなかったが、どうしても売ることもできなかった。だからこちらも実家行き。代わりに青のホンダ・シビックを買い、ベンツはシーズンオフに堪能することにした。外車の解禁を許可するのは、自分が入った「組合」の親分。俺の場合は小松さんだった。
なぜ、小松さんが組合の親分だったのかは分からない。ただ、まだ2年目でペーペーだった俺に「おい、キャッチボールの相手してくれ」と声をかけてくれたのが、小松さんだった。