07年日本S、落合監督とオレが完全試合継続中の山井を八回で降板させた本当の理由(下)
まったく、同じ思いだった。マメさえ潰れてなければ、オレも落合監督も間違いなく続投させていた。マメを潰した投手を続投させて打たれても、完全試合の投手を交代させて岩瀬が打たれても、もし日本一を逃していたらとんでもない批判が待っていたはずだ。オレも落合監督も思いあぐねた選択を、山井自身が自分の口でしてくれた。
先月30日のオレの送別会で山井には、「あのときもし、おまえが行かせてくださいと言ったら、オレは九回も行かせていたよ。監督も同じ気持ちだった」と言うと、あいつは「ありがとうございます」とだけ言った。礼を言いたかったのは、オレの方である。(この項おわり)
▽もり・しげかず 1954年11月18日生まれ。千葉県出身。駒大、住友金属を経て78年のドラフト1位で西武に入団。先発から抑えに転向し、現役通算9年で57勝(62敗)、82セーブを挙げた。88年に引退。翌89年から99年まで西武の投手コーチを務め、黄金時代を築く。00年からは日本ハム、02年から横浜で投手コーチを歴任。落合監督に請われ04年から中日でバッテリーチーフコーチ、10年にヘッドコーチに昇格した。落合監督とともに11年オフ、中日を退団。プロ入り後、ユニホームを脱ぐのは初めてだった。
◇ ◇ ◇
落合氏についての他のエピソードは関連記事から要チェックだ。