甲子園では"怪童"尾崎行雄に4打席凡退、ほとんど直球だけど打てなかった
「昔気質の監督だったね。全国優勝メンバーの三年生、エース金子哲夫(のちに阪神)、キャプテンで五番打者の村上唯三郞は、矢野さんが今治市の有力者を介してスカウトしたのかな。今治の他にも宇和島市や八幡浜市出身者もいて、地元西条出身は俺と松浦、捕手の藤岡修三の三人だけだった」
三年生となった翌年の夏も甲子園大会に出場。一回戦で大阪の浪商と対戦するが、2-3で敗退する。相手投手は一年生エースの尾崎行雄(のちに東映フライヤーズに入団)。
「三番・森本選手は四打席凡退。ほとんど真っ直ぐだったけど、打てなかったね」
ドラフト制度導入前の自由競争の時代だったが、森本の卒業時にプロからの正式な誘いはなかった。
「所詮は田舎の三番打者。評価が高かった同学年の遊撃手は土井正三(育英高)と、山口富士雄(高松商業)だった」
土井は卒業時にプロから誘いがあり、山口は春の選抜大会の決勝で史上初のサヨナラホームランを打った甲子園のスター。翌年、森本は立教大学へ進学するが、土井、山口も同じく立大に入学。不思議な運命に導かれるように、三人の遊撃手の物語は続いていく。
(中村素至/ノンフィクションライター)



















