松井秀喜は「完全な努力型」だった…名伯楽が見た10代ゴジラの素顔と深夜の素振り
内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第5回=2020年)を再公開
日刊ゲンダイでは多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が浮かび上がる。
今回はあの松井秀喜氏について綴られた、内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第5回=2020年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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広島で打撃コーチを務めていた私に巨人からオファーが届いた。1994年、「ファームで若い選手を育てて1人でも2人でも上に押し上げて欲しい」と言われ、巨人の二軍打撃コーチに就任。やるからには中途半端は嫌だった。こちらから「単身で行くから寮に入れてください」と頼んだ。「そこまでしなくても近辺のマンションに住んでくれればいい」と返されたが、こっちも本気。「選手と寝泊まりを一緒にさせて欲しいんです。せっかく来たんだし、やらせてください」と折れなかった。
広島時代、寮生には夕食後の19時から室内練習場で1時間ほど打たせ、私が自宅に帰る時間は21~22時だった。巨人の寮に入り、気になったのは、夕食が終わると若い選手が外に遊びに行ってしまい、門限まで帰ってこないこと。休みが少ない広島とは違い、巨人は週1で休養日があった。寮の地下にはマシン打撃ができる練習場とプールがある。「こんなに素晴らしい施設があるのに巨人はぬるいな」と感じた。
私は当時の木戸寮長にこう頼んだ。
「休みの日は自由でいいです。でも、毎晩スイングをさせたいので、2階のふすまを取っ払ってください」
2階には普段はほとんど使われていない畳の部屋が3、4部屋あった。そこを「素振り部屋」にしたいと寮長に言うと、ふすまを全部取り払ってくれた。
大きな鏡も用意してもらい、そこで若手の村田善、鈴木尚らがスイングを繰り返した。ほぼ強制だから不満もあっただろう。それでもシーズン中は、夜も野球に没頭しないといけないというルールを作った。
寮には高卒2年目の松井秀喜もいた。まだ本当のプロの体にはなっていなかったが、本格的にウエートトレーニングを取り入れていなくても筋力が強く、盛り上がった背中などは、すでにプロで10年やっているような体格。とても10代とは思えない貫禄があった。
星稜高時代は甲子園で5打席連続敬遠されたことで騒がれ、連日マスコミに取り上げられていた。取材対応、言葉遣いなどはすでに大人だった。ただ、器用なタイプではなく、センスがあったとも言い難い。スイングをしながら自分の打撃をつくり上げたタイプ。完全な努力型だった。
一軍のナイターが終わって寮に帰ってくると、食事をする松井から「内田さん、今日のバッティングはどうでしたか?」とよく聞かれた。
「構えた時、少し背中が丸まってたぞ」
「あの時のバットの軌道、構えはどうでした?」といったような話を食堂でした。その後、30分~1時間ほど素振りをするのが日課だった。すでに一軍選手だった松井は、私が若手の寮生に課した夜のスイングとは無関係だったが、深夜に自分からバットを振った。入団1年目の93年から約3年間、素振りを繰り返した「201号室」は、畳が擦り切れたまま、今も保存してある。
▽うちだ・じゅんぞう 1947年9月10日、静岡県生まれ。東海大一高から駒大。13年間の現役生活はヤクルト、日本ハム、広島で主に外野手としてプレー。計950試合出場で打率.252、25本塁打。82年に現役引退、翌83年に指導者に転身。広島、巨人で打撃コーチ、二軍監督などを歴任し、多くのタイトルホルダーを育てた。2019年限りで巡回打撃コーチだった巨人を退団。



















