ボブ・ホーナーさん死去…ヤクルトから大旋風を巻き起こした“円高助っ人”の実態
そこへ、手を伸ばしたのがヤクルトだった。円高が後押しした。85年あたりは1ドル=230円台後半だった為替が、87年には1ドル=140円台半ばに。現役バリバリの大リーガーと年俸3億円で契約にこぎつけた。
背番号は50本塁打の期待を込めて「50」に。
デビュー戦となった5月5日の本拠地神宮での阪神戦でまず1発。翌日はなんと1試合3本塁打。9日の広島戦でも2本塁打を放つなど、905グラムのバットで4試合7安打のうち6ホームランという離れ業で、ヤクルト本社のCMに出演するなど大モテとなった。
監督の関根潤三は初練習での打球の速さに仰天し「すげえぞ、これは」と目を丸くした後、「走者二塁でホーナーの安打じゃ走者はホームインできないな。三塁ストップだね」と続けた。
93試合出場で打率.327、31本塁打とメジャーの力を見せつけたホーナーは、わずか1年で退団し、セントルイス・カージナルスと契約。メディアは本塁打を期待したが、監督が「セントルイスの球場はアトランタより広い。そんなに打てない」と予言した通り、88年は3本塁打のみ。
89年春の引退後、事業に失敗したが、86年オフの「FA選手締め出し」が労使協定に反したとの理由で経営者側から賠償金を手にしたという。為替で外国人選手の格が決まる、と教えてくれたのがホーナーだった。



















