「ゆかいな認知症」奥野修司氏

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 今、先進国の中で日本人が一番多いという認知症。もはや国民病といった様相だが、もし認知症になったら、何も分からなくなってしまう――。こんなふうに思っている人は少なくないだろう。

「もう20年も前のことですが、僕には若年性認知症と診断された兄がいました。ところが僕は、症状が進行した晩年は見舞いにも行かなかった。話しかけても反応がないので、もう何も分からない、と思い込んでしまったんですね。でも兄が亡くなったあと、本当にそうだったのかと気になり始めたんです。もしかしたら、僕の認知症に対する偏見と誤解で、『兄は分からない』と決めつけていたのではないか、と。そんな後悔から、認知症の人に話を聞いてみよう、と取材を始めたんです」

 本書は、年齢も症状もさまざまな12人の認知症当事者を実名入りで、生の声を集めた前代未聞のノンフィクションである。そこには、当事者だけに見えている世界やエピソードがつづられている。

 認知症には軽度、中度、重度と段階があるが、著者が印象に残っているひとりは、要介護4の認知症の女性だった。

「出雲市に『小山のおうち』という重度認知症の人だけを集めたデイサービス施設があって、そこで自転車で徘徊してしまう女性に、徘徊する理由を聞いたんです。彼女は記憶が1、2分しか持たないので丸2日かかりましたが、『天気がいいと出雲大社に行きたくなる』『家にいると怒られてムシャクシャする』という理由が分かりました。ただウロウロしているのではなく、徘徊にもちゃんと目的や理由があったことに驚きました。ただ、帰ってこられなくなるので第三者から見ると徘徊になるんですね」

 認知症というと、記憶の低下というイメージがあるが、必ずしもそうではない。たとえば67歳の竹内裕さんは人の顔などはしっかり記憶できるのに、時系列通りに記憶するのが苦手だ。アルツハイマー型認知症の57歳の女性山田真由美さんは記憶障害はないものの空間認知機能に障害があり、シャツの袖に手を通すことや、財布に紙幣を出し入れする行為が困難だ。

 他にもアナログ時計は読めてもデジタル時計は読めない、しゃべれないけど書くことはできるなど、さまざまな症状が紹介されている。

「認知症イコール記憶障害はまったくの僕の思い込みでした。本などに書かれている認知症の症状はあくまでも平均値なんですね。だから個人によって全然違うことを理解していないと、すれ違い介護が生じてしまう。ある施設に大声で怒る認知症の男性がいたのですが、話を聞いてみたら介護士のやり方だと痛くて、それをうまく伝えられずに声を発していたことが判明したことも。結局、本人に“困っていることは何か”を聞くのが一番なんですよ。それが分かれば対処のしようもあるし、介護する方も楽になると思いますね」

 足に障害があれば車いすを活用するように、認知症も障害を補うサポートツールを使えば、自立した生活を送ることが可能だ、と著者。

 事実、本書には人の助けを借りるのはもちろん、スマホの地図アプリやメモ帳を活用するなどの工夫をして、仕事を続けたり旅行に出かけるなどして楽しんでいるエピソードが紹介されている。中にはなんと、一人暮らしをしている人もいて驚くばかりだが、彼らに共通するのは引きこもらず、社会との接点を持つ努力をしていることだ。

「取材を通して分かったのは、症状が進行して重度になったとしても、感情の部分はまったく変わらないということです。喜びも自尊心も悲しさもある。ただ、うまく伝えられないだけなんです。話が聞けなければ、しっかり観察することで相手の気持ちは分かります。3人に1人が認知症になる時代。他人事と思わず、向き合っていきたいですね」

(講談社 880円+税)

▽おくの・しゅうじ 1948年、大阪府生まれ。立命館大学卒。78年から南米で日系移民を調査、帰国後フリージャーナリストとして活躍。著書に「ねじれた絆」「満足死 」「魂でもいいから、そばにいて」など多数。

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