「評伝 孫基禎」寺島善一著

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 1936年、ナチス政権下で開かれたベルリン・オリンピック最終日。日本代表としてマラソンに出場した孫基禎が、オリンピック新記録を出して金メダルを獲得した。しかし、彼に笑顔はなかった。涙をかみしめるようにうつむいて、「君が代」が流れると、表彰台で渡された月桂樹の枝で、胸に付けられた日の丸を隠した。精いっぱいの抵抗だった。

 日本の植民地時代、祖国朝鮮を離れ、日本人として走らなければならなかったランナーの生涯を追った評伝。孫基禎の生き方とスポーツ哲学は、商業主義オリンピックに浮かれ、歴史修正主義者がはびこる今の日本を、鋭く突き刺す。

 孫は1912年、朝鮮半島の北部、新義州で生まれた。極貧の中で育ち、遊び道具もなく、鴨緑江の岸辺をひたすら走ることに熱中した。そうした日々が長距離ランナーとしての飛び抜けた資質を開花させていく。

 篤志家の学費援助もあって陸上競技の名門高校に進学し、空きっ腹と闘いながら走った。学校代表として日本遠征に参加、目覚ましい活躍を見せて、ベルリン・オリンピック日本代表の道を歩み始める。

 選考過程での差別と侮辱に耐え、実力で代表の座を掴み取った。

 オリンピック優勝の翌年、明治大学に入学。しかし、走ることを禁じられ、箱根駅伝への出場も許されなかった。

 朝鮮人に自信を持たせ、独立運動につながることを恐れた権力の非人道的な仕打ちだった。

 日本の敗戦後、孫は韓国の陸上競技界の発展に努めるとともに、スポーツによるアジアの連帯と平和の実現を希求し、多彩な活動を行った。日本を恨むことなく、プロ野球を通じた日韓交流やサッカーW杯の日韓共催に尽力した。

 2002年、孫基禎は、日韓共催W杯の実現を見届けて、世を去った。最期の言葉は、「箱根駅伝を走りたかった」だという。

(社会評論社 1400円+税)

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