「死の医学」駒ヶ嶺朋子氏

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 臨死体験や体外離脱、金縛りなど、日常とは異なる体験は、長い間、オカルトのように扱われてきた。しかし、いまや、これらの奇妙な体験は脳科学の領域で説明可能なものとなっているというから驚きだ。

「手術中に自分の手術を天井から見ていたとか、死にそうになった人が三途の川を渡らずに引き返してきたとか、そうした不思議なエピソードは世界中にたくさんあります。なかでも体外離脱体験は、10人に1人が経験しているという調査結果が1980年代に出ており、近年、こうした体験を科学的に検証する研究が進んでいます」

 たとえば体外離脱体験には、脳の側頭頭頂接合部の働きが関係していることがわかっている。脳外科医のオラフ・ブランケが、てんかん患者の手術準備中に発見し、2002年に論文にまとめて発表しているのだ。

 さらに最近では、VR装置を装着して、背中に刺激を与えながら背後からの自分の姿を映像で見せると、簡単に体外離脱を誘発することも確認されている。

 本書は、臨死体験や体外離脱などの非日常体験がどのようなメカニズムで生じるものなのかを、脳科学の最新知見を軸に解説した科学エッセー本。非日常体験と芸術やエンタメとの共通性とその効能、さらには生死のボーダーラインの考え方など死生学についても考察している。

「脳の側頭頭頂接合部が不思議現象に、何かの役割を果たしている可能性がますます高くなったといえるでしょう。さまざまな不思議な体験は、脳がつくり出す人類共通の現象だということがわかってきたわけですが、このような現象が生まれるのは、生存に有利になるように脳が進化した結果ではないかといわれています」

 慣用句にもある「蛇ににらまれたカエル」は、固まって動かなくなり、擬死という状態になる。これは危機的状況では動かない方が相手に認識されにくく生存確率が上がるためなのだが、このとき脳内ではNMDA受容体と呼ばれる細胞の機能低下が起こり、それによって苦しみも痛みも感じず記憶も喪失してしまう状態がつくられるらしい。実はこの状態は体外離脱と似ていて、人間の脳で起こることと無関係とはいえないようなのだ。

「食物連鎖の頂点にいる人間には、ふつうカエルのように捕食者に狙われて固まるようなことは起こりませんが、私たちも非常事態に直面すれば、体が硬直して動けなくなり、記憶を喪失したりすることがありますよね。人間も、命の危機が生じたとき動物と同じように生き延びるための脳機能が働いている可能性は高いんです」

■無の境地で演ずる役者は、進化学的には「擬死」

 自分の体から心が離れてしまう状態を、精神医学の世界では「解離」と呼ぶ。無の境地で演ずる役者やダンサー、言葉が下りてくるのを待つ詩人などは皆この解離状態を経験しており、これは進化学的には「擬死」と同じといえるらしい。危機的状況で意識を切り離すことでストレスを軽減して自分を守る脳のメカニズムが働く。人が芸術活動から力をもらうのは、芸術家が自分を無にしてその世界に没入する姿が、観客の脳の経路を刺激するからではないかと著者は言う。

「不要不急という言葉でアーティストの活動が封じられたこともありましたが、そういう意味では芸術は不急であっても不要ではないのです。ここ数年パンデミックや悲惨な事件が起きて、世界中の人に大きなストレスがかかる状況が続いているため、人は解離しやすい状態になっているのかもしれません。本書で紹介した不思議な現象を入り口にして、脳は最期まで生存に有利になるように働くコントロールセンターであり、どんな窮地も生き抜こうとする力を持っていることを知っていただければと思っています」

(集英社インターナショナル 968円)

▽こまがみね・ともこ 1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科社会学専修・独協医科大学医学部医学科・同大学院医学研究科卒。同大学病院にて脳神経内科医として勤務。2000年第38回現代詩手帖賞受賞。著書に「怪談に学ぶ脳神経内科」、詩集に「背丈ほどあるワレモコウ」「系統樹に灯る」がある。

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