「ファスト化する日本建築」森山高至著/扶桑社新書(選者:中川淳一郎)
歴史ある木造建造物と昨今の「木のたてもの」は別物
「ファスト化する日本建築」森山高至著
隈研吾氏が設計した、木で造った「那珂川町馬頭広重美術館」がわずか20年ほどで腐ってしまったということから本書は始まる。そして、昨今の日本の巨大プロジェクトである大阪・関西万博の「大屋根リング」は木で造っている。隈研吾氏が設計した新国立競技場も外観は木だ。
しかし、清水寺や東大寺を含め、全国の名刹や白川郷の合掌造りや京都の町家は何百年経っても腐らない。一体これはどういうことか。その背景にあるのが「日本建築のファスト化」である。このように日本の建築業界で発生していることの問題点をこれでもか! とばかりに挙げていく。
歴史ある名木造建築と昨今の木造建築は別物なのである。理由は本書を確認されたい。
「ファスト」とは「ファストフード」が語源で、建築の場合は建設が容易で、完成までも早く、いずれ何らかの問題は出るかもしれないけどまぁ、それはその時考えればいいんじゃね? 的な建物のことだ。タワマンはその象徴であり、15年後の大規模修繕にカネがかかることやら、投機の対象になっており、そもそも誰も住んでいなかったりする、といった点が指摘される。
さらには、景観へのこんな指摘もある。よくあるチェーン店だらけの国道沿いの話だ。
〈商業建築そのものも、看板化していくことになる。ロゴデザインと呼応した色彩や、わかりやすい単純な配色が求められる。赤か黄色かオレンジの多用、緑と赤、黄色と紫、など、お互いが反対に目立ち合うような補色の関係で出来上がっているデザインが多いのはそのためである〉
日本の大都会を見ると似たようなビルが大量に並び、ネオンはギラギラ。地方都市の国道沿いは同じような店が並ぶ。景観よりも、ファストで建設できること、儲けられそうなデザインにすることが求められるのだ。
そして、後半になると俄然面白くなってくるのが、東京五輪と大阪万博にまつわる理念のなさと「レガシー」にならない場当たり的な建築手法への問題視だ。筆者はザハ・ハディド氏がデザインした案が通った新国立競技場の費用がかかり過ぎることが明らかになった後、緻密な問題分析を行った人物である。
結局ザハ案は高過ぎるということで、再コンペの末、隈研吾氏の案が採用されたが、これも木のデザインだった。過去の東京五輪と大阪万博とは経済・文化・インフラの発展に大貢献したが、今回の2つは意味がなかったのでは?という指摘は納得である。ただ、建築業界の裏事情が多過ぎ、業界人以外にはやや冗長に感じる面もあるだろう。 ★★