第1話:無策な船出
私は3年で会社を辞めてしまった。
それなりに勤め上げ、アルバイトを並行して行い、娯楽を捨て、原資の貯蓄に勤しんだ。
毒島氏と会うことが増えるにつれ、カスミと会う回数は減少し、いつしか去ってしまった。私には、名のある企業にしがみ付いていて欲しかったのかも知れない。
特に深く考えず、勢いで辞めて勢いで始めてしまった部分が大いにある。
とりあえず毒島氏から商品を借り受けることが出来る環境は整ったものの、重要なことを失念していた。
自分たちには顧客がいないことを。
「鮫島、どうするぅ?」
会社は作った。名刺も作った。
自宅を兼ねた事務所で鮫島と共同生活をした。
借りものだが商品もある。
だが顧客がいない。迂闊だった……。
「都内は敷居が高そうだから埼玉辺りにでも行ってみるか?」
と埼玉県のある都市に足を運び、高い建物の屋上に上がり、双眼鏡で周囲を眺めた。360度眺め回し、私はある方角を指さした。
「あっこらあたりにデカい家が多そうだなぁ」
と場所の照準を定め、1軒1軒呼び鈴を押して回った。
「東京から素晴らしいジュエリーをお持ち致しました」
インターホン越しに同じセリフを繰り返した。
当時の我々はこれで商品が売れるとでも思っていたのだろうか?
当然のことながら無下に断られることが大半で、表まで出てくることは皆無ではないが、稀だった。
100軒のチャイムを押した結果、一般家庭への宝石の飛び込み営業は数多ある営業活動の中で最も費用対効果の低い行為であることを1日で悟った。
次に行ったのは裕福そうな人間のピックアップだ。
知り得る限りの人間をノートに書き出していった。
「鮫島、だれかいるか? 目ぼしそうな人は」
「いやぁ、なかなかいないですね」
小さな事務所で、顧客になりそうな、あるいは間接的にでも繋がりそうな人物を洗い出し「あ」から順に書き出していった。
「や」に至ったとき「山元美紀」という名に行き当たった。
「おっ、美紀さんなんてどうだ?」
「美紀さんって、いつもディスコに来てVIPルームにいた人ですか?」
「そうそう、今は旅行代理店を経営しているらしいぞ。マサトが言ってた」
学生時代の共通の夜遊び仲間のマサトが連絡先を知っていたので、アポイントを取ってもらった。マサトが我々の趣旨を伝えたところ会社に来るように、と言われたとのことだ。
関内の駅から徒歩5分程度のビルの1階に山元美紀氏の旅行代理店はあった。
「あなた、マサトたちとつるんでた子ね?」
「はい。マサトとかタカキとかサトシとか」
山元氏に距離が近そうな自分の友人の名前を片っ端から並べ立て、距離感の近さを無理やりに主張した。
「宝石の仕事始めたんだって?」
「はい」
「あれ? タケシ君だっけ?」
「はい」
「タケシ君、知ってた?」
「何をですか?」
「私、在日なの」
「……」
全く知らなかった。
「ウチの母、宝石が大好きなのよ」
(おっ、きたか?!)
「そうなんですね!!」
「それにね、毎月婦人会があるのよ。母の代の人たちのね」
(イケるか?!)
私は鮫島と目を合わせた。
「ウチの母の代の人たちが頑張った結果、私たちの代はぬくぬく暮らしていけるように
なったのよ。だから、結束が強いの、母たちは。」
この旅行代理店の原資も親からの出資かも知れない。
ビジネスを始める上で最も困難なことのひとつは原資を確保することだ。
会社勤めの3年間、貯蓄にのみ腐心したのは、潜在的にそれが脳裏にあったからかもしれない。
この案件に関し毒島氏に相談をした。
「50、60のオバサンたちだよね。だったらちょうどいいのがあるよ!! 俺はねメンズが中心なんだけど、潰れちゃった同業者がいて買い取ってやったのがあるんだよ。レディースのチョーカー。しかも20本もあるんだぜ」
と、“倒産物件”を勧めてきた。
K18イエローゴールド製、幅の太い5連チェーンのチョーカーで、胸元の五角形状のチャーム部分にダイヤモンドがパヴェセッティングされ、アクセントになっている。
「これ、イタリア製なんだよ。イタリアの製品は首に当てたら凄く馴染むんだ。そしてここのダイヤの部分、ほら、見て。ここで着け外しが出来るんだよ。首の後じゃなくて前でね。これはオバサン向けだよ」
チャームを兼ねたクラスプがフロントに装備されているのは年配者に好まれそうな機能的な構造だった。