宇喜多秀家の夢の跡<番外編 倉敷>

公開日: 更新日:

 川幅10メートルほどの倉敷川一帯は、宇喜多秀家の時代に干拓工事が完了した。これにより広大な新田が誕生し、多くの村民がこの地に移住してきた。

 倉敷は、そんな秀家の夢の跡である。秀家は五大老の身でありながら、関ケ原での敗戦後は八丈島に流刑となり、83歳で生涯を閉じるまで貧窮に泣いていたと伝えられる。一説には、島の代官に食事をご馳走になった際、余ったご飯をにぎり飯にしてもらって家族への土産としたそうだ。

 慶長5(1600)年に備中国奉行領となり、3代将軍家光治世の寛永19(1642)年に天領となって幕府直轄となった。秀家が整備した良港が、蔵米などの海上輸送の集積基地として活躍した。また、天領となる5年前には島原の乱もあって、幕府の軍事上の拠点としても重宝した。

 つまり、魅力ある土地だけに徳川氏に“収奪”されたわけである。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

最新のライフ記事

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    妹の葬儀にも姿なし 芸能記者が見た中森明菜「一家」の今

  2. 2

    麻生大臣は年金破綻認めていた 10年以上前に論文で堂々と

  3. 3

    愛犬との散歩が日課…夏目三久「フリー8年」寂し気な日常

  4. 4

    ビートたけし“本妻vs愛人”100億円離婚劇ドロ沼決着のウラ

  5. 5

    韓国芸能界は騒然…YGヤン会長辞任の波紋と日本への影響

  6. 6

    クリスチャンの特攻隊員が密かに残した手紙に戦時下の心理

  7. 7

    「ご三家に合格する子」の家庭環境をプロ家庭教師が明かす

  8. 8

    高嶋ちさ子が激怒 反抗期の長男に「お前フザけるなよ!」

  9. 9

    国広富子さんは高級パンプス履き平壌の党幹部住宅で生活

  10. 10

    巨人は首位浮上も…守護神マシソン“傷だらけ”で離脱危機

もっと見る

編集部オススメ

  1. {{ $index+1 }}

    {{ pickup.Article.title_short }}

もっと見る