成毛眞さん<2>アスキー出版に転職 翌日からマイクロソフト

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 郷里の北海道の自動車部品メーカー「ダイナックス」に入社した3人の新人に、会社は一戸建ての社宅を用意した。1人2部屋ずつくらいの待遇で、毎晩、酒盛りの日々を送ったという。

「酒屋のお兄さんに『この“飯場”は何人住んでいるんですか?』って聞かれるくらい。まあ、それで会社に行けないから、朝になると総務課長が迎えに来るんです。『朝だよ、会社に行く時間だよ』って。会社まで5分くらいの距離だけど、3人を車で連れて行ってくれました。会社に到着すると、専務が『臭いから会社の保健室で寝てろ』って。そのまま昼まで保健室にいる生活でしたから、そんな会社は辞められないですよね。ブラック企業の反対ですよ」

「ダイナックス」は世界のクラッチディスクのシェア7割を誇る業界トップの企業だ。

「いまはどうなのか聞いたら“社風”は変わらないみたいですね。総務課長のことは今でも覚えていて、めちゃくちゃだったけどすごくいい人だった。それでも問題ないんですよ、会社は。そういう人がいると、みんながカバーしようと思うから。人柄って大事なんです。外資系にいて言うのもなんですが、マイクロソフト時代もそう。出世欲でギンギンだったり、意地悪い人は排除されていましたよ」

 3年目には「大阪営業所をつくれ」と、転勤を命じられた。仕事はこなしたが、水は合わない。しかも、製造業以外の仕事に興味を持った。編集の仕事だ。

「文藝春秋社や新潮社も考えたけど、当時は募集していなかったし、趣味でパソコンをやっていたから『アスキーでいいか』と。当時のアスキー出版に転職したんです」

 ところが、入社翌日に子会社に出向を命じられる。マイクロソフトがアスキーと設立した「アスキーマイクロソフト」だ。86年の時だった。

「編集を希望していたわけですから、『何やっている会社ですか?』って聞いたんです。新卒で入社したときも知らない会社でしたから、これが人生で2回目。そのころのアスキーは社員が200人くらいいて、マイクロソフトは入社番号85番くらいだった。どちらも知られてなかったですね」

 OEM営業部長、取締役マーケティング部長を歴任し、91年11月に36歳で社長に就任する。マイクロソフト時代は、トヨタ自動車全社のコンピューターにOS導入を成し遂げたり、95年には「ウィンドウズ95」日本語版発売も指揮し、ブームを起こした。だが、2000年5月、引き際はあっさりしていた。

=つづく

(取材・文=小野真依子/日刊ゲンダイ)

▽なるけ・まこと 1955年北海道生まれ。中央大商学部卒業後、自動車部品メーカー「現・ダイナックス」に入社。86年に「現・日本マイクロソフト」に入社し、91年に同社代表取締役社長に就任。2000年に退任後、投資コンサルティング会社「インスパイア」を設立。現在は、書評サイト「HONZ」代表を務める。近著「俺たちの定年後」(ワニブックスPLUS新書)など。

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